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桐夫のブログ 2007.08


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あれを片づける

dr-kilio 2007/08/01 23:43:20

 

今日も、朝起きるのがつらい。
病院には何とか出勤するが、治療にはなかなか専念できない。
帰ってから片づけ。
食卓の上のものは、まとめて捨てる。
玄関の靴は、不要なものを捨てる。
最後にクローゼットを見る。
そこにあったのはIの死体だった。
今日の夕空のような赤い血。
今回は血の量が多くて、カーペットを剥がさなくてはならな
かった。
防腐処理を施して、前の死体の隣に並べる。
重い体には、これが時間のかかる作業だった。
作業しながら、Yの行方を思って不安になる。
一体、Yはどこへ行ってしまったのか?
汚れた体をシャワーで流しながら、ふと思いつき、体を拭いてから、Iの死体のポケットを探る。
携帯電話はすぐみつかった。
着信履歴を見ると、昨夜Yから電話が入っている。Yは生き
ている。しかし、Iが死んでいることを知らない。
そこまではわかったが、それ以上に、何を知っているのだろう。
私の知らないことを知っているのかもしれない。
何しろ私は、一昨日の夜の記憶が、途中から完全に欠落しているのだ。
Yの知っていることを知りたい。
そんな思いが、押さえ切れないくらいに強くなる。
けれど、Yに電話するのは、今は避けた方がいいだろう。
Yが私に連絡をよこさないのは、何か理由があってのことだ。
しかし
Yの知っていることを知りたい。
 
→次の夜
 


 

死体の蛾が、また

dr-kilio 2007/08/02 23:47:08

 

あの夜のことについて、Yは何を知っているのだろう。
あの女がIを殺したことをYが目撃していれば、私を悩ませている問題は一気に解決するのだが。
何か女の痕跡は残されていないかと、クローゼットにIの死体を確認しに行く。
クローゼットの部屋は暗く空気が澱んでいる。
あの夜のままの匂いがあたりに漂っている。
暗い中でIの死体を確認しようとしてぎょっとした。
その顔が動いている。そう思った瞬間に、顔が私に迫ってきた。
思わず後ずさったら、それは例の忌々しい蛾だった。
早く殺虫剤を買っておけば、Iは死なずに済んだのに、厄介事ばかりが積み重なっていく。
私が驚いている間に、蛾は再びどこかへ行ってしまった。
Iの体を動かそうとしていると、Iのポケットの中の携帯電話が振動した。
見ると、Yからの着信である。
今にも、Iが目を開けて携帯電話を取りそうで気味が悪い。
電話はしばらく震えてから切れたが、その電話に出たくてたまらない。
何故、Yは私ではなくIに電話をかけてくるのだろうか。
思いついて監視カメラの映像を確認する。
そこには女の姿はなかった。
代わりに、あの蛾が留まっているのが見えた。
私の気になるところばかりに現れる蛾の存在に嫌気がさす。
台風が近づいてきて風が巻く夜。
  
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※「http://www.ghost-cam.com」現在はご覧になれません。 
 
→次の夜
 


 

Killio

dr-kilio 2007/08/03 23:40:42

 

長い一週間がようやく終わる。
家に帰って、死体が動いていないかを確認する。
その時は、特別な変化はなかった。
内臓の煮込み料理を食べてソファーに横になると、少し寝てしまった。
目を覚ましてから、死体のことが気にかかり、もう一度見に行く。
すると、Iの死体が、私の小学校時代の日記を抱えるように持っていた。
誰かが、私の子供の頃の日記を読んでいる。
閉ざしていた扉を無理矢理開けられているようで、ひどく腹立たしい気分になる。
日記をしまうために、もっとみつけにくい場所を探して、家の中を歩き回る。
結局、階段下の収納スペースの奥にしまうことにする。
しまおうとして日記に違和感を抱く。表紙を眺めてみる。特別な違いはなかった。
けれど、もう一度よく見たときに、声を上げそうになった。
私の名前の書き方が変わっていたのだ。
「Ki.lio」の「.」が縦に伸び、「l」になっていた。
「Killio」。
まるで、隠れていた歯が、急に成長したかのように。
それにしても、名前の中に「Kill」とは、あまりに不愉快な表記ではないか。
一体、誰がどのような悪意を持って行ったのか。
私の名前を嘲笑っているかのようだ。
あの女に対する憎悪が増してくるのを感じる。

 
→次の夜
 


 

蒸し暑い日に執拗な電話

dr-kilio 2007/08/04 23:35:36

 

蒸し暑くなり、いよいよ真夏に入る。
家の中は、すべての部屋にエアコンを設置してあるわけではないので、部屋によっては屋外以上に蒸し暑い。
ただ、以前ほど夏に対する嫌悪感が強くない。
体質が変化し、嗜好も変化しつつあるのは確かだ。
昼過ぎ、知らない番号から携帯電話に連絡が入る。
留守番電話を再生してみると、しばらく連絡のなかったあの鍵屋からメッセージが入っていた。
「この間返していただいたものに、少し問題がありまして。また、こちらからご連絡します」
あの男にこれ以上関わり合うのは面倒で、無視することにした。
その後も、夜にかけて5回も電話が入る。
何か、火急の用事があるようだが、それにつき合っている気持ちの余裕はない。
そのうち諦めるだろうと思い、そのままにしていると、10時半くらいの電話を最後に、今日は電話がなかった。
あの男は、生理的に合わないところがある。
しつこくされると、次第に腹立たしい気分になってくる。
これ以上、私の週末を乱さないでほしい。
久しぶりに強い酒を飲んでみる。

 
→次の夜
 


 

読書の休日

dr-kilio 2007/08/05 23:07:22

 

一日、家を出ずに読書することにする。
昨日飲んだアルコールが体に残り、頭が重かった。
今日も、鍵屋から私の携帯電話に電話が入る。6回連絡が入ったが、すべて無視をした。
Yからも、Iの携帯電話に連絡が入ってきている。Yは異変に気づいているのだ。
私の周りが、徐々に騒がしくなっている。
早めに解決しなければ、事態は悪い方向へと進んでいくことは間違いない。
ただ、今の私には、この事態を冷静に解決していくことが難しいように感じる。
鍵屋に連絡を取っても、Yに連絡を取っても、おそらく感情的な物言いになるか、投げやりな物言いになるか、そのどちらかだろう。
自分の体質や嗜好、あるいは性格の一部分が変化していることは、最近自覚できるようになってきた。
けれど、時に現れる粗暴な側面では、Yには太刀打ちできないのだ。
アルコールのせいばかりではない。
以前のような冷静さを取り戻すために、今日は一日家にいることにしたのだ。そう、以前ならば、休日は時を忘れて読書に耽ったものだ。
  
やってみると、今の私にそれは、かなり努力を要することであった。なかなか読書に集中できない。
しかし、二時間ほど経過すると、ある回路がいきなり繋がったように、頭が明快になり、集中力が増してきた。
アルコールもいつの間にか体から抜けてきた。
それ以降は、以前のように時を忘れて読書に耽ってしまった。
気がつくと、9時を過ぎていた。
簡単なサンドウィッチを作って食べる。
久しぶりに頭の靄が晴れたようで、爽快な気分である。
今夜は自分の輪郭を、自分で掴むことができる。

 
→次の夜
 


 

Yと電話

dr-kilio 2007/08/06 23:36:31

 

昨日の休日のおかげで、久しぶりに治療に専念できる。
患者の信頼感、歯科助手との円滑なやりとりが嬉しい。
あれからちょうど一週間が経つ。
あまり長引かせない方がよいと思い、まずは、Iの携帯電話の留守番電話を確認してみた。
Yからのメッセージが3件入っていたが、いずれも「電話がほしい」というだけのものだった。
今なら、うまく話ができるような気がして、こちらからYに連絡を取ってみることにする。
とにかく、私にやましいところはないのだ。あの女のことがわかれば、Yも納得してくれる。
問題は、今はまだ誤解を生むような状況であるということだけだ。
自信を持ってしゃべればよい、と自分に言い聞かせて、Yの携帯電話に連絡を取ってみた。
用心しているのは、むしろYの方であった。
私は、素知らぬふりをして話を進めた。
Yが知っていることを知りたいという気持ちに変わりはなかったが、それを詮索することによってYに疑念を抱かせる方が怖かった。
Yは、やはりIの消息を心配していた。
どうやらあの夜、Yは蛾に怯えて部屋を出たらしい。鱗粉の入ったスープの事を思い出して、しばらくトイレに籠もっていたという。
その後、部屋に戻ったら、私の姿もIの姿もなかった。
仕方なく、そのまま家に帰ったらしい。
けれど、二人の姿が見えないから家に帰った、というくだりがYらしくない。
何か隠しているのは確かだ。
あの女の姿を目撃してはいないかと思い、なんとなくかまをかけてみたが、これは全く知らない様子だった。
そこが突破口になるかと期待していたので残念だ。
私は努めて明るく話し、Yはいつになく言葉少なであった。
後は鍵屋と話をしたかったが、こういう日に限って連絡はない。
わざわざ電話するほどでもないので、こちらはそのままにしておいた。
昨日に引き続いて快活な気分である。
 
→次の夜
 


 

興味深い話

dr-kilio 2007/08/07 22:47:49

 

今日も余裕のある診療。
午後、初めての患者から興味深い話を聞く。
患者は46歳の解体業を営む男性。3カ所に虫歯があり、そのうちの一つは深刻な状況。
何故ここまで放置していたのかと聞くと、今まで一度も歯医者にかかったことがなく、なかなか歯科医院に行く踏ん切りがつかなかったというのだ。
46年間一度も歯の治療を行わなかったとは珍しい。
男は数ヶ月前、廃屋の解体中に腐りかけた床板を剥がそうとして、そこに潜んでいた毛虫に刺され、一週間くらい高熱を出して寝込んだことがある、と言う。
一週間経って仕事に復帰することができたが、それ以来、体質が変化したように感じる、と言うのだ。
爪の形が微妙に変化し、髪の一部が巻髪になり、髭が濃くなり、そして46年間健康だった歯に虫歯ができるようになった。
非常に興味深い話だ。
診療が終わった後、いくつかの文献からこのような症例はないか調べてみる。
残念ながら、手元にある本の中にはみつけることができなかった。
ただ、ある種の毒が体内に入ることで、体に変化が起こることは確実なことだ。
男の話に、多少の誇張はあっても、嘘はないだろう。
舌であの歯をなぞってみる。
今日も鍵屋からの電話はない。

 
→次の日
 


 

鍵屋が勘づいた

dr-kilio 2007/08/08 11:15:50

 

休日から2日が過ぎ、今日で3日目。
次第に落ち着きを失っていくのがわかる。
夕方に鍵屋から電話がある。
7時頃、二度目の電話があり、それには出ることにした。
鍵屋は、かなり困っている様子だった。
お守りを開けなかったでしょうか、と言いづらそうに聞いてくる。
私は一瞬、答えに窮した。
おそらく、中に入っていた歯の話をしようとしているのではないだろうか。
私が入れた歯が、誤っていたにちがいない。
私はいささか遺憾だ、という雰囲気を漂わせながら「開けてはいません」と答えた。
鍵屋はさらに困った様子だった。
「けれど…」と言ったきり、次の言葉が出てこない。
やがて思いついたように、「もう一度伺ってもよろしいでしょうか?」と言葉を継いだ。
次第に面倒くさくなってくるのが、自分でもわかった。以前と同じ感覚だ。
結局、忙しいのでそのような時間は作れない、と言って、一方的に電話を切ることになった。
その後味の悪さが、その後、尾を引いた。
鍵屋からは再度電話があったが、それには出なかった。
もう少し平静に話をするべきだ。
先日飲んだ強い酒を、もう一度飲んだ。

 
→次の夜
 


 

Hくんの父親

dr-kilio 2007/08/09 23:32:25

 

次第に、診療に熱が入らなくなる。
午後、歯の矯正を行っているHくんの父親が病院にやってくる。
矯正の進展が遅いのではないかということを、一方的にまくし立ててくる。
私の話を一向に聞こうとせず、自分の言い分だけを述べ立てる。これでは話し合いにすらならない。
他の患者が待っているような状況なので、こちらも次第に苛立ってくる。
なるべく冷静に話をしたつもりだが、実際は私もかなり感情的になっていたようだ。
話は噛み合わないまま、父親が病院の診療室のドアを乱暴に閉める形で終わってしまった。
私も非常に気分が悪い。
そうでなくとも、今日は朝から気持ちが安定していなかった。
仕方なく、診療を別の者に任せて、屋上でしばらく時間をつぶした。
激しい夏の日差しの中で、たちまち白衣は汗ばんできたが、それでも屋内で過ごすよりはましだった。
いつのまにか、自分の父親のことを考えていた。それが、また私の心を乱すことになった。
結局、診療に戻ったのは夕方で、それでも集中することは難しかった。
帰りに思い出して殺虫剤を買う。
これで、あの忌々しい蛾を殺すことができる。
今日こそは、あの蛾を殺してしまおう。
そう思って家の中を探したが、何かを察知したのか、蛾の姿がみつからなかった。
何もかもが忌々しい。

 


 

真夜中のメール

dr-kilio 2007/08/10 02:07:56

 

たった今、携帯にメールが入ったために起きてしまった。
メールの発信元は、なんとIの携帯だ。
  
誰かが
この家の中にいて
Iの携帯から
私に
メールを送っている。
  
題名は、
  
「どこにいる?」

 


 

またメールが

dr-kilio 2007/08/10 03:06:04

 

少しまどろんだら、またメールが入った。
誰かが、まだ家の中にいる。
とても暗い家の中を歩く勇気はない。
恐ろしくて、いまベッドの中で、メールを打っている。
メールを打っている間は、世界と繋がっているようで少し安心できる。
 
→次の夜
 


 

メールを送ってほしい

dr-kilio 2007/08/10 23:38:09

 

結局、朝までベッドから出ることができなかった。
外が白んできて、ようやくまどろんだが、それもわずかな時間だった。
6時頃に起き出してはみたものの、家の中を探索する気にはなれなかった。当然、Iの携帯のあるクローゼットには近づくことができようはずもない。
あまり家にいたくないため、早めに家を出る。
自分の携帯に入っているメールが気にかかる。
人の多いところなら見られるような気がして、コーヒーショップで朝食の後、メールを開いてみた。
午前2時のメール。
そこには、あの女からのメッセージが入っていた。
「こんばんは、桐夫さん。以前、歯の治療でお世話になったK子です。せっかく歯を治療していただいたのに、あんな事になってしまって申し訳ありません。さらに、いろいろとお宅の中をお騒がせしていて、こちらも申し訳ありません。Iさんは、桐夫さんのお友達なのに、悪いことをしてしまいました。でも、まさか、Iさんがクローゼットを開くとは思いませんでした。少しばかり、間が悪かったのでしょうか。ところで、いま桐夫さんはどちらにいらっしゃるのですか? 謝りに伺いたいのですが、どちらに伺ったらよろしいでしょうか?」
全身に総毛が立った。
あたりに人の気配とざわめきがあることが、何よりの救いだった。
これ以上、メールを読むのは苦痛だったが、読まずに消去するのも恐ろしく、午前3時のメールも読んでみた。
やはり、あの女のメールだった。
「桐夫さん、どこにいるのでしょうか? そちらに伺いたいのです」
二度目のメールはこれで終わっていた。
私は、即座に2通のメールを消去した。
今夜も、あの女からメールは届くのだろうか。
この週末、あの家でどこにいるかわからない女と一緒にいなければならないのだろうか。
誰か、泊まりに来てほしいと思ったが、考えられるのはYくらいしかいない。
Yに来てもらうには、あの女のことをしゃべらなくてはならないが、信じてもらうにはまだ証拠に乏しい。
朝から、今夜のことを考えると暗鬱な気分になってしまった。
診療中は、また、あの女からメールが届くのではないかと思うと、ほとんど集中することができなかった。
家に帰って、携帯のメールアドレスを変更した。
今回のアドレスは、
  
kilio@○○○○.○○○
  
これで、もうあの女からメールが届くことはないだろう。
けれど、この週末、あの女と過ごすことに変わりはない。
  
新しいメールアドレスを公開したのには理由がある。
昨夜わかったことだ。
メールをしている時だけが、世界と繋がっていて安心することができる。
だから、どんな内容でもかまわない。週末の間だけ、このアドレスにメールを送ってもらえないだろうか。
そのうちの何人かに返信のメールを送ろうかと思う。
  
監視カメラの映像を見ていれば、自分のメールが届いたときに着信ライトが点灯するのを確認することができるだろう。 
→ http://www.ghost-cam.com
ただ、気をつけてほしい。
その時、そこにあの女が姿を現すかもしれないのだ。
 
→次の夜  
  
※「http://www.ghost-cam.com」現在はご覧になれません。
※「kilio@○○○○.○○○」このメールアドレスは実際に8月13日(月曜日)の朝まで公開され、読者からのメールを募った
 


 

メールありがとう

dr-kilio 2007/08/11 23:02:15

 

皆さん、たくさんのメールをありがとう。
おかげで、昨夜はあの女の気配に悩まされることはなかった。
熟睡とまではいかないものの、ある程度眠ることはできた。
どれだけ、心の支えになったことか。
これから、メールを見させてもらいます。

 


 

女の三日月の爪

dr-kilio 2007/08/12 01:15:16

 

いま、皆さんのメールを読ませていただきました。
本当にあたたかい励ましの言葉の数々、ありがとうございます。
皆さんと繋がっていると考えると、ずいぶんと安心できます。
この家の中、たったひとりであの女と対峙しているわけではないと考えられるからです。
こんなに心強いことはありません。
  
今日は一日、外で過ごした。
こんな真夏に外出することは滅多になかったので、体力もかなり消耗した。
けれど、この家で過ごすよりは、遙かに気が楽だ。
家に帰ったのは、もう10時を回っていた。
携帯をチェックすると、メールアドレスを変えたせいか、あの女からのメールはひとつもなかった。
そうは言っても、クローゼットのある部屋に近づくことはできない。
汗ばんだ体を洗い流そうとシャワーに入り、脱衣所でタオルを使っている最中、足の裏に痛みを感じた。
見てみると、切った爪が足の裏に刺さっている。
今夜の月のように細い三日月型の爪だ。
よく見ると、その辺に切られた爪が散乱している。
もちろん、私がそんなことをしようはずもない。
あの女の仕業にちがいない。
メールが送れなくなった苛立ちを、このような形で私に伝えようとしているのだ。
せっかく清潔になった体をたちまち汚されたようで、無性に腹立たしくなる。
散らばっている爪を集めていると、いよいよ怒りが湧き上がってきた。
あの部屋に入ってやろうかと思ったが、直前で取りやめた。
冷静に対処しなくては、解決できない。
自分で自分に言い聞かせたが、今日は気持ちが不安定になっている。
  
どうか、今夜も私をあの女から守るために、メールを送ってほしい。
きっと夜中に、あの女は家の中を彷徨うにちがいない。
私の姿を探して。
私は、皆さんからのメールを頼りに、今夜も寝室から足を踏み出さないようにするつもりだ。
もう一度、私の携帯のアドレスを伝えておく。
  
kilio@○○○○.○○○
  
私を守ってほしい。
 
→次の夜
 


 

昨夜もありがとう

dr-kilio 2007/08/12 22:03:58

 

昨夜も、たくさんのメールをありがとう。
おかげで空が白むまで眠ることができました。浅い眠りでしたが。
ただ、皆さんのメールがなかったら、どれだけ苦痛の長い夜だったことでしょう。
いくら感謝しても足りないくらいです。
これから、メールを読ませてもらいます。
その中にあの女のメールのないことを祈りながら。

 


 

鍵屋からの悲痛な声

dr-kilio 2007/08/13 00:51:30

 

あの女からのメールは入っていなかった。
まずはひと安心だ。
今日も、携帯電話を家に置いたまま、夜まで町へ出た。
どこかへ行く目的があるわけではない。単に家にいたくないだけだ。
興味の湧いた美術展を二つくらい巡り、合間に昼食、さらに博物館を覗いて夕方になる。
博物館の常設展は、人も少なく、ひんやりしていて、古い骨の匂いが安心感を誘う。
思えば、子供の頃からひとけのない博物館が好きだった。父親に叱られた時には、一人で博物館に来ては、長い時間をそこで過ごした。
古い動物の骨や歯形などを飽きもせず眺めていると、時間の経つのを忘れてしまったものだ。
そんなことを思い出しながら、同じように歯形を眺めていると、いつのまにか閉館時間になってしまった。これも、子供の頃と同じだ。
夕食も外で済ませ、9時30分過ぎに家に帰る。
玄関を開けようとして、違和感を覚える。
誰かがそこに長い間いた、という気配の痕跡のようなものを感じたのだ。
よく見ると、いつも上に向けて置いてある空の植木鉢が、逆さになって置かれている。
誰かが、そこに腰を下ろしていたにちがいない。
それが誰なのか、察しはついていた。
家に入って携帯電話を確認すると、応援のメール以外に、鍵屋からおびただしい電話が入っている。
玄関で私を待っていたのも、鍵屋に違いない。
留守番電話のメッセージを聞いてみると、「すぐに会ってほしい」「歯を返してほしい」「明日は新月の夜」「恐ろしくてたまらない」など、懇願とも言える悲痛なメッセージが、いくつもいくつも続いている。
その声の調子が気になったが、私もそれどころではないのだ。
今夜も、あの女との夜をやり過ごさなくてはならない。
  
今夜も、皆さんのメールをお願いしたい。
今も一通一通丁寧に読みながら、不安が氷解していくの感じていた。
明日の朝まで、携帯のメールアドレスを公開しておこう。
  
kilio@○○○○.○○○
  
 
→次の夜
 


 

昨夜もありがとうございました

dr-kilio 2007/08/13 21:23:38

 

たくさんのメールをありがとうございます。
おかげで、昨夜のあの女に悩まされることはなかった。
今日でアドレスは変更させてもらいます。励ましの言葉をありがとうございます。
お約束通り、今日じゅうには何人かに返信のメールを出させてもらいました。

 


 

監視カメラに人影

dr-kilio 2007/08/13 23:46:08

 

診療を終えて、しばらく時間を潰し、家に帰ったのは11時過ぎだった。
監視カメラに、何かが記録されている。
あの女の姿を捉えることができたに違いない。
再生してみると、そこに映っていたのはあの女の姿ではなかった。
そこに映っていたのは、なんとあの鍵屋だったのだ。
その様子から、お守りに入っていた歯を探していることは明らかだ。
時間を見ると、私が帰ってくる1時間ほど前である。
さすがに、私は怒りを覚えた。
すぐに鍵屋の携帯に電話したが、呼び出しても出る気配がない。
これを書き終えたら、勇気を出して家の中を歩いてみよう。

 


 

血?

dr-kilio 2007/08/14 02:39:16

 

気がついたらベッドの下に寝ている。
客間のベッドだ。
いま、携帯から打っている。
顔に温かいものがべっとりついている。
口に入ったその味は、血?

 


 

ベッドの下

dr-kilio 2007/08/14 02:40:23

 

どうなってる?
なにか、ここから出ない方がいいような気がする。
絶対出ない方がいい。

 


 

男の声

dr-kilio 2007/08/14 02:43:08

  

ベッドの上で声が聞こえる。
男の声だ。
苦しそう。
だれかもうひとりいる。

 


 

もうひとり

dr-kilio 2007/08/14 02:46:49

 

ベッドの上の男の血が滴ってるんだ。
もうひとりいる

 


 

こわい

dr-kilio 2007/08/14 02:49:38
 
  

みんな、読んでくれてるだろうか?
それだけが頼りだ。
こわい

 


 

電話できない

dr-kilio 2007/08/14 02:53:39

 
 
だれか来て。
Y、呼ぼうか
電話できない。
だれかいる
男の声は消えた
死んだ?

 


 

上にいる

dr-kilio 2007/08/14 02:57:00

  

血が落ちてくる
かなり出血しているらしい
あの女がだれかを殺したのか
まだベッドの上にいるのか
だれか、きて

 


 

ラップ音

dr-kilio 2007/08/14 02:59:56

 
 
バチバチ、ラップ音がしている。
いま、テレビがついた

 


 

水の音

dr-kilio 2007/08/14 03:01:31

 

逃げたい
どこかで水の音がしている
逃げたい

 


 

ドア?

dr-kilio 2007/08/14 03:06:02

  
 
ラップ音が消えた
どこからか空気が流れている
部屋のドアが開いたのか

 


 

出てった?

dr-kilio 2007/08/14 03:06:14

  

テレビの音で部屋の中の気配がわからない
女がベッドの上にいるのか
出てったのか?

 


 

おしえて

dr-kilio 2007/08/14 03:08:01

  

ベッドの下から出た方がいい?
おしえて
出ない方がいい?
でも、ここも危ない

 


 

変な音

dr-kilio 2007/08/14 03:10:13

 
 
水の音はバスルームか
でも、なんか変な感じ
びちゃびちゃいってる

 


 

カラス

dr-kilio 2007/08/14 03:13:08

  

すごく窓の近くでカラスがないた
夜中なのに
窓になにかぶつかった
カラスだ
窓の外で地面に落ちた
嫌な声を出して暴れている

 


 

いない?

dr-kilio 2007/08/14 03:20:04

  

もう女は上にいないのか
ここを出た方がいい?

 


 

出よう

dr-kilio 2007/08/14 03:23:13

  

どうすればいい?
出ようか
でよう
走って
みんな、知らせるから

 


 

鍵屋

dr-kilio 2007/08/14 03:25:46

  

ベッドの上から男が転がり落ちてきた
鍵屋だ
まだ息をしている
手を出してきたので握った
 


 

顔を

dr-kilio 2007/08/14 03:26:58

  

鍵屋が何か話したそうだ
顔をこっちに向けるな
女に気づかれる

 


 

dr-kilio 2007/08/14 03:28:34

 

「歯」
鍵屋は言った
「歯がなくなって」
あの歯のことか
 


 

女は

dr-kilio 2007/08/14 03:30:39

 

こっちを向かないでくれ
ベッドの下からでないようにしてささやく
「女はいるのか」

 


 

ピアノが

dr-kilio 2007/08/14 03:33:46

 

ピアノの音がする
女の仕業?
「新月」
鍵屋は言っている

 


 

死んだ?

dr-kilio 2007/08/14 03:38:34

 

鍵屋が動かない
死んだ?
手に力がない

 


 

出られない

dr-kilio 2007/08/14 03:42:57

 

ベッドからの出口を鍵屋の死体がふさいでいる
動かさないと出られない

 


 

きしんだ

dr-kilio 2007/08/14 03:46:07

 

ベッドがきしんだ
やはり、女は上にいるのか

 


 

気配が

dr-kilio 2007/08/14 03:52:37

 

気配がない
いないのか
こっちの様子をうかがってるのか

 


 

みんなのメール

dr-kilio 2007/08/14 03:53:37

 

気が狂いそうだ
みんなのメールのことを考えよう

 


 

落ち着いた

dr-kilio 2007/08/14 03:57:02

 

少し落ち着いた
みんなのメールのおかげ
週末を過ぎて油断していた

 


 

濡れた足音

dr-kilio 2007/08/14 04:04:57

 

廊下を濡れた足で歩いている
女に違いない
やはりいなかった
でも、部屋に戻ってくるかも
鍵屋の死体を動かして出やすいようにする
女の足音はまだ続いている

 


 

静か

dr-kilio 2007/08/14 04:10:24

 

テレビが消えた
耳を澄ます
家の中になんの音もしない
このまま朝まで待った方がいい?

 


 

笑い声?

dr-kilio 2007/08/14 04:14:40

 

いま、女の笑い声が聞こえた気がした
クローゼットの部屋の方だ
今のうちに逃げ出そうか
自分の寝室に戻れば大丈夫な気がする

 


 

廊下の足音

dr-kilio 2007/08/14 04:19:45

 

ここから出た方がいい?
廊下で濡れた足音がする
廊下の奥へ行った時にここを出よう
自分の寝室は反対側だから
ここにいた方が危険だ

 


 

出る

dr-kilio 2007/08/14 04:26:37

 

もう出る
今度足音が向こうに行ったとき

 
 
→次の夜
 


 

血が落ちない

dr-kilio 2007/08/15 00:27:38

 

遠くで電話が鳴っていた。
蒸し暑い部屋、鉛のように重い体に何かがまとわりついて不愉快だ。
しばらく、頭がはっきりしないまま、ベッドに横たわっていたが、不意に焦点が定まった。
時計は、もう11時を指していた。
慌てて起きあがり電話に出ると、やはり病院からだった。
とても出勤できる状態ではない。休む旨を手短に伝えた。
体じゅうにまとわりついていたのは、乾いた鍵屋の血だということをすぐに思い出した。
昨夜のことは、途中までは覚えている。
ベッドの下で過ごした恐ろしい時間。
あのとき滴ってきた血が乾いて、体や服や髪の毛にまとわりついているのだ。
体の芯に、重い疲れが澱のように溜まっている。
けれど、鍵屋の血だけは落とさなくてはならない。
衣服はゴミ袋に詰め込み、シャワーを浴びた。
髪の毛の間に入って固まった血は、何度シャンプーしても簡単には落とせなかった。
手のひらいっぱいにシャンプーを取って、それでこそぐようにして少しずつ落としていく。
完全ではないもののある程度落とした頃には、完全に体力を消耗していた。
髪の毛を乾かす力もないまま、再びベッドに倒れ込んだ。
再び目を覚ましたのは、夜の11時半くらい。
いつの間にか、この家の中を静寂と闇が支配していた。
嫌な時間に目覚めてしまったことを後悔したが、眠っていたのが自分の寝室であることに安堵を覚えた。
今まで、この部屋にあの女が入ってきたことはない。
  
昨夜、新月の夜、またひとつ死体が増えた。
この間と同じだ。私は、経験したことのないような重い疲労に覆われている。
鍵屋の死体はどこにある?
今は考えずに眠ることにしよう。
応援のメールのひとつひとつを頭の中で読み返していけば、心は落ち着きを取り戻し、やがて眠りにつけるだろう。
 


 

不意に目覚めた

dr-kilio 2007/08/15 03:14:11

 

不意に目覚めた。
家の中の気配に耳をそばだてる。
何の気配もない。
昨夜の恐怖が、頭の中を突然強烈によぎったのかもしれない。
今は、何の音もしない。
 
 
→次の夜
 


 

鍵屋の死体

dr-kilio 2007/08/15 23:29:49

  

いつにも増して猛暑。
朝起きたが、体の疲れが取れていないため、今日も休みの連絡を入れる。
このところ急な休みが多く、院内での評判が気にかかるが、致し方ない。
歩くのでさえ疲れ果ててしまうような状態だが、午前中にやっておかなくてはならないことがあった。
鍵屋の死体の処置だ。
死体を探すのは、それほど大変なことではなかった。ただ、その部屋に入るのには、少しばかりの勇気が必要だった。
クローゼットのあるあの部屋は、一番あの女の気配が濃厚だったからだ。
けれど、昼に女の気配を感じたことはない。
勇気を奮い起こして部屋に入ると、鍵屋の死体はやはりクローゼットの中にあった。
鍵屋は、私と握っていたのと逆の手に、例のお守りを握っていた。私は、固く握りしめている指を解いて、お守りを自分のポケットに入れた。
その後、防腐処理を施しながら、早くこの状態から抜け出したいと考えていた。
せめて、Yにうまく説明できれば、彼を味方につけられる。
午後いっぱいそのことを考えたが、疲れのために思考がうまくまとまらない。
考え続けることに疲れ、苛立ち、ついにYに電話をかけてみた。
電話は繋がらなかった。
その後、二回電話をしてみたが、いずれも留守番電話だった。
シャワーを浴びて、再び髪の毛を念入りに洗う。
その後、寝室に入り、歯の入っている広口瓶を眺めてみた。
いつのまにか、多くの歯が集まっている。
私が無意識に集めてしまったようだ。
数えてみると28本あった。親知らずを除く成人の歯の本数になっている。
ポケットに入れていた鍵屋のお守りを開くと、中から1本の歯が出てきた。
私が誤って鍵屋に渡した歯だ。
しかし、他人の家にまで侵入してまで取り戻したいと思っていた歯には、一体どんな意味があったのだろう。
 
私の手元に、29本の歯が集まっていた。
 
 
→次の夜
 


 

一昨日の痕跡

dr-kilio 2007/08/16 21:03:03

  

昨日に引き続いて猛暑。
今日から週末まで、病院は休診日としていたため、休みの電話を入れずに済む。
日曜日までに疲労を回復し、精神状態を安定させなくては。
一昨日の出来事を記憶の中で反芻しながら、家の中を歩き回る。
バスルームや廊下に濡れている痕跡はない。もっとも、時間が経って乾いてしまっているのかもしれない。
ピアノのある部屋は、母親が気に入っていた場所だ。
ピアノの音が聞こえたことを思い出して向かってみるが、ここにも何の痕跡もない。
ただ、窓の外を見たときに、あの夜の記憶と符号するものをみつけた。
カラスの死骸だ。
あの夜、窓ガラスにぶつかって死んだカラスに違いない。
やはり、あの夜の記憶は誤ってはいなかったのだ。
クローゼットの部屋にも入ってみる。死体は3体。いずれも動いた形跡はない。
鍵屋の死体を見ているうちに、再び不安が頭をもたげてきて、その場でYに電話をしてみる。
やはり、留守番電話。これだけかけて電話が返ってこないことはいままでなかった。
暑さで息が詰まりそうな部屋の中で考えていた。
Yは私を避けているのかもしれない。
しばらく考えていたが、不意に気分が悪くなって部屋を出た。
暑さのせいかもしれない。
寝室に戻ってエアコンをつけた。
 
 


 

29本目の歯

dr-kilio 2007/08/17 01:56:41

  

つい、熱中してしまった。
寝室に置いてあった広口瓶の中の歯を取り出してみたのだ。
1本ずつ確認していくと、成人の歯がすべて揃っていることがわかった。
しかも、その1本1本が非常に美しい。
紙粘土を探し、その中に染料を入れて赤く染めてこねる。それを二つに分けて、馬蹄形に成形する。
これで歯茎の土台はできあがった。
そこに1本ずつ、歯を埋め込んでいく。
いつの間にか作業に没頭し、疲れを忘れていく。それに伴って、心の奥底に溜まっていた澱みに、急に風が通ったような気がする。それが心地よい。
一体、これらは誰の歯なのか。おそらく様々な人間の歯が混在しているに違いない。
中年の男の歯の隣に、若い女性の歯を埋める。その隣に、若い職人の歯を入れ、その脇には老女の歯を埋める。病人の歯の隣に女子高生の歯を埋める。警察官の歯の隣に殺人者の歯を埋める。
そんなことを想像しながら作業を進める。
それは、ある種の倒錯した愉悦だった。
様々な年齢、様々な職業、異なる性別の人間の歯が1本ずつ並んで、一人の人間の歯形ができあがる。
完成された歯形は、完璧な美しさを持っていた。滅多に巡り会うことのできない完成された美しさだ。
けれど、たったひとつ難点があった。
歯が1本余っている。
この1本をどうするべきなのか?
途方に暮れて、歯形に濡れタオルをかけた。
鍵屋に返すときに迷った、もう1本の歯。
29本目の歯は、前歯だった。
 
→次の日
 


 

夢だけれど

dr-kilio 2007/08/17 12:22:12

  

夢を見た。
私の醜い歯を、父親が矯正すると言ってすべてを抜いてしまう。
代わりに、歯のない歯茎に1本ずつ歯を埋めていく。
それはどれも美しい歯だ。
けれど、何故か私にはそれがどんな人間の歯なのかわかる。
政治家の歯、離婚した女の歯、死刑囚の歯、美食家の歯、看護士の歯、太った中年男の歯、若い野心家の歯、挫折したスポーツ選手の歯…。
私の口の中に、様々な人間の様々な人生を過ごしてきた歯が埋められていく。
美しい歯並び。
しかし、口の中でそれぞれが自分の存在を主張しようとする。
抜けた他人の歯を、28本も口に含んでいるような気分。
それはたちまち吐き気をもたらした。
吐いても吐いても吐き気は消えない。なぜなら、それは私の歯茎に、完璧に美しく埋め込まれているのだから。
 


 

夜になる前に

dr-kilio 2007/08/17 18:36:28

  

夜の闇が家の中を覆う前に、確認しておかなくてはならない。
29本目の歯のことだ。
鍵屋の死体に、もしかしたら…。
そう考えて、クローゼットの部屋に向かった。
ばかばかしいという思いの方が強かった。
しかし、念のために確認だけはしておかなくてはならない。
死体はあれから動いている様子はなかった。女の気配も薄れている。
うなだれている死体の顔を起こすと、鍵屋は口を開けていた。
一昨日、死体の処置をしたときに開いていたかどうか、記憶が曖昧だ。
歯鏡を使って、前歯の裏を覗いてみた。
やはり。
私の勝手な想像だった。
そこに歯が生えていた痕跡は残ってはいなかった。
あの歯は、ただの前歯だったのだ。
しかし、誰の? 鍵屋の死体には、前歯は揃っているのではないか。
鍵屋の口の中を奥まで調べているときに驚いた。
奥歯が1本抜かれている。
しかも、抜かれて間もない。その痕から見ると、死んでから抜かれている。
何者かが、死んだ鍵屋の口の中から奥歯を1本抜いたのだ。
そういえば、と不意に思い出した。
粘土の歯茎に歯を埋め込んでいくとき、そのうちの1本、奥歯の根本になにか薄桃色のかすかなものが付着していた。あれは、鍵屋の歯茎の肉片だったのか。
29本の歯のうち、最後の1本は、鍵屋の死体から抜かれた歯だったにちがいない。
私はますます混乱してしまった。
 
→次の夜
 


 

またあの悪夢が

dr-kilio 2007/08/18 22:17:16

  

昨夜も同じ悪夢を見た。
自分の歯が、1本1本別々の人間の歯によって形成される、という夢だ。
自分の口が他人の口によって支配されているようで気持ちが悪い。
普段意識されることのない自分の唾液が、他人の唾液のように意識される存在に変わっていく。そのような感覚だ。
自分の唾液の匂いは、口の中にあるうちは意識されることはない。口の外に出された時に、自分と切り離され、悪臭を放つ存在となる。
それをもう一度口の中に戻さなくてはならないことを想像した時のような不快感。
それに近いかもしれない。
起きてからも不快感は拭えない。
けれど、私が恐れているのは、その不快感ではない。
むしろ、歯に対する違和感だ。
自分の歯がそこに生えている、しかも整然と並んで白い色を放っている。
そんな当たり前のことを意識し始めたら、そしてそれが常に頭から離れなくなったら、恐ろしいことになる。
あの悪夢のように、他者が常に口の中に存在するような感覚に陥ってしまうだろう。
これから先、悪夢が続かないことを願う。
 


 

歯形が完成

dr-kilio 2007/08/19 01:07:31

  

広口瓶のことは、あまり意識していなかった。
けれど、この日記を読み返してみてわかったことだ。7月16日にこの瓶を買って、そこに鍵屋のお守りの中の歯を入れている。
鍵屋が必死になって取り戻そうとしていた、あの歯だ。
その日から数えて鍵屋が殺されるまで29日間。集まった歯の数も29本。
つまり、1日1本の歯が広口瓶に入れられた事になる。
やはり、私が作っているこの口は、29本の歯で完成ということになるのだろうか。
もしかしたら、この29本目の歯を埋めることによって、悪夢から解放されるかもしれない。
私は濡れタオルをはずして、自分の作った歯形を眺めてみた。
改めて、その美しさにため息が漏れた。
ここに、29本目の歯を埋めることは忍びなかった。
けれど、それは必然のように思えて仕方がない。
私は、前歯の裏に29本目の歯を差し込んだ。
  
シャワーを浴びようとしていたら、携帯が鳴る。
Yかと思って発信元を見ると、全く見たこともない番号だった。
そのまま、放っておいたら、しばらくして切れた。
 
→次の夜
 


 

家を掃除

dr-kilio 2007/08/19 21:14:18

  

昨夜は悪夢に悩まされることなく、比較的深い眠りだった。
夜の気温があまり高くなかったこともその理由かもしれない。
いずれにしても、口の中を他人に奪われるようなあの悪夢を見なかっただけでも、気分は朝から良好だった。
体調もかなり回復している。
そこで、家の中を掃除することにした。
あの女からメールが来て以来、家は女に占領されつつあった。
特に夜は、寝室からほとんど出ることができなかった。
けれど、携帯の番号を変えてから女からのメールが来ることはなくなった。
鍵屋が殺されてから、女の気配を感じたこともなかった。
あの恐怖の日から一週間が過ぎようとしている。体力も回復しつつある。
掃除をして、自分の空間を取り戻すには良い機会だ。
かれこれ10日間は掃除していなかったため、家の中はかなり汚れていた。
窓を全開にして掃除機をかけていくのは良い気分だ。
暑さがそれほどきつくないのも幸いだ。
少し動くと体が汗ばんできたが、それはそれで悪い気持ちのものではなかった。
女の残したものを発見するようなこともなかった。
カラスの死骸は、まだ窓の外にあった。
これだけが、あの夜の唯一の残留物だ。
拾い上げてゴミ袋に入れ、そのままゴミ箱に捨てた。
きれいになった空間は風が通り、あの夜のことが遠い昔のことのように感じられる。
汗ばんだ体はシャワーで洗い流そう。
そして、明日から診療に戻れる。
 


 

鍵屋に電話してみた

dr-kilio 2007/08/19 22:32:43

 

夜になったが、あの女の気配は感じない。
気分も悪くないし、食欲もある。
家の中を一回り歩いてみる。さすがに夜の時間帯にクローゼットの部屋に足を踏み入れるのははばかられたが、それ以外の場所は以前と全く同じように自由に歩くことができた。恐ろしいと感じるようなことはなかった。
空気が入れ替わって、家が新しい呼吸を始めたようだ。
食事は久しぶりにダイニングルームで摂った。
ダイニングルームの廊下を挟んだ反対側に、クローゼットの部屋はある。
もちろん、今はどちらのドアも閉められたままだ。
食事を済ませてから、ふと思いついて廊下に出た。クローゼットの部屋のドアの前に立ち、鍵屋の携帯電話に電話をかけてみた。
その部屋だけは、今夜確認していなかったことが気になったのだ。
もちろん、電話をしてみたところで、鍵屋は死んでいて繋がるはずはない。
そうとは信じていたが、もし、その電話に女が出たら…。
電話は何回かコールした。
その時間が、ひどく長いものに感じられた。
誰かがそれを取ったら、ドアの向こうに誰かがいるということだ。
コールは続いた。
そして、何者かがそれを取った。
その瞬間、心臓が締め付けられ、冷や汗が出た。
それは、留守番電話のアナウンスだった。
思わず止めていた息を吐き出した。
誰も取るわけがないと信じていたものの、やはり心の奥底の恐怖の澱みは消えてはいなかったのだと、改めて知らされた。
そんなことを考えているうちに、アナウンスが終わってしまった。
私は、仕方なく「もしもし、もしもし…」と言ってみた。
もちろん、反応はない。
  
「いるわけはないか」
  
私はそのまま電話を切った。

 


 

カラスの死骸と希望

dr-kilio 2007/08/20 00:57:38

 

眠る前に、もうひとつ考えた。
クローゼットの部屋に何の気配もないことに安心したので、今度はゴミ箱の中からカラスの死骸を取り出してみた。
これには、何か女にとっての意味があるかもしれない。
清潔になった家の中に、一点だけ女の痕を置いてみようかと思った。
そうすれば、女はその場所にやってくるかもしれない。
カラスの死骸を袋から取り出して、監視カメラの前に置いてみる。
今夜こそ、監視カメラに女の姿が写るかもしれないのだ。
そうしたら、動かぬ証拠を掴むことになる。Yに話して、彼を味方につけよう。
希望が湧いてきた。
清潔なシーツで、今夜は早めに眠ろうかと思う。

 
→次の日
 


 

一週間ぶり

dr-kilio 2007/08/20 13:34:15

  

久しぶりに病院に出勤して診療を行う。
体力は回復し、気力も充実している。
家に帰って監視カメラに女の姿が写っていることを想像すると、心が浮き立つ。
きっと女の姿を捉えられる。
そんな自信が、初めて女の優位に立ったようで気分がよい。
あの家は私の家なのだ。イニシアティブは、私が握っているのが正しい在り方なのだ。
冷たいパスタの昼食。
野菜が瑞々しく美味。
 


 

快適な一日

dr-kilio 2007/08/20 20:58:24

  

快適な一日が終わり、帰宅するのも億劫ではなかった。
一日の仕事を終えた心地よい疲れが、以前の自分を取り戻したような気分を生み出す。
楽しみにしていた監視カメラだったが、何も録画されてはいなかった。
何もかもが一気に好転するとは思えない。仕方のないことだ。
しかし、自分の家を自分の手に取り戻せたような気分は、悪かろうはずがない。
 


 

鍵屋の妻の声

dr-kilio 2007/08/20 23:06:28

  

何も恐れることはない。ここは私の家なのだ。
夜歩き回ることはできても、まだクローゼットの部屋にだけは足を踏み入れることができなかった。
今夜なら、それも簡単にできそうな気がした。
10時頃に、テレビを消して、家の中の気配に耳を澄ませてみた。
窓の外の虫の鳴き声以外、何も聞こえない。
一度大きく深呼吸して廊下の端に立った。
ゆっくり廊下を歩きはじめたが、何の気配も感じない。
部屋の前に立つ。
ドアに手をかける。
もう一度、大きく息を吸って、ドアを開けてみる。
そっと中を伺うが、何も変わったところはない。
明かりをつけて、一歩踏み出す。
ゆっくりと周囲を見渡したが、気になるところはない。
クローゼットを開けてみる。
3体の死体が並んでいる。
もう大丈夫だ。
私は大きく息をつくと、部屋を出ようとした。
そういえば、ひとつ気になることがあった。
鍵屋のポケットに手を入れて、携帯電話を取り出した。
鍵屋がいなくなって、誰かが彼を捜してはしないか。それを確認したかった。
案の定、留守番電話にメッセージが入っていた。
鍵屋の妻と思われる女性がか細い声でしゃべっている。
  
「あなた、大丈夫? 連絡ください」
  
「歯はあったの? 早く帰ってきて」
  
「今夜は新月よ。無理しないで」
  
「連絡ください。待ってます」
  
「連絡ください」
  
5件のメッセージの後は、無言のメッセージが2件入っていた。
鍵屋の妻は、歯のことを知っているらしい。そして、あの日私の家に来ることも知っていたらしい。
面倒なことになりつつあるのかもしれない。
今日一日の快適な気分に水を差された思いだ。
留守番電話の最後は、昨夜私が吹き込んだメッセージだった。
私は電話を切った。
 


 

ここに…

dr-kilio 2007/08/21 00:36:17

  

寝ようと思って、何かが気にかかった。
その正体がはっきりしない。
どうも、クローゼットの部屋に気がかりなことが残っているのだ。
私は起きあがって、寝室を出た。
もう一度、クローゼットの部屋に足を向ける。
ドアを開けて明かりをつけ、周囲を見渡すが、何も変わったところはない。
私が気にかかったのは、こんなところではない。
鍵屋の携帯電話を、もう一度ポケットから出してみた。
留守番電話を再生してみる。
鍵屋の妻からのメッセージ。これが気になっていたわけではない。
その後に、私自身が昨夜廊下に立って吹き込んだメッセージが流れる。
私は耳を澄ませた。
  
「もしもし。もしもし…」
  
私の声が聞こえてくる。
その後、
  
「いるわけないか」
  
これも私の声だ。
その直後だ。
かすかな声が録音されていた。
女の声だ。
それはこんな風にささやいていた。
  
「ここにいるのに…」
  
まだ、あの女はこの家の中にいる。
しかも昨夜は、廊下で電話していた私の背後にいたのだ。

 
→次の夜
 


 

Hくんの笑顔

dr-kilio 2007/08/21 20:23:40

 

午後の診療に、歯の矯正を行っているHくんがやってくる。
先日Hくんの父親がクレームの電話を掛けてきたことについて謝りたいということだった。
どうもその時、Hくんは電話のすぐ脇にいたらしい。
自分の意見も聞かず、一方的に私に怒鳴っていた父親とそれを止められない自分の非力さに腹が立ったということだ。
電話の後、父親に抗議したところ、押入に閉じこめられて1時間も出してくれなかったという。
小学生にもかかわらず、わざわざそのために私のもとを訪れる律義さに、私はつい心を開いた。
自分も同じように厳格な父親に育てられたこと。歯並びが悪くて強い器具で矯正させられたこと。
話していくうちに、Hくんの表情が明るくなっていくのがわかった。
その表情を見ていると、自然と饒舌になってしまった。
嫌なことは毎日日記に書いたこと。父親に刃向かうと同じように部屋に閉じこめられたこと。
自分でも何年も思い出したことのない情景が、いつのまにか口をついて出ていた。
話しながら、いろいろなことを思い出している自分が不思議だった。
何年ぶりかの記憶。
けれど、Hくんの表情に明るさが戻ったのが、何より嬉しかった。
 


 

なにか過ちを

dr-kilio 2007/08/21 22:56:56

 

夜が深まるにつれて、昨夜、鍵屋の留守番電話で聞いた女のかすかな声が気にかかって仕方がない。
気配は感じなくても、あの女はこの家の中にいるのだ。
一度希望を持ちかけただけに、失望も大きい。
昼間の診療のことを考えても、なかなか明るい気分になれない。
それどころか、不安ばかりが増してくる。
それが、次第に押さえようのないものになっていく。
なにか、過ちを犯しているような感じがしている。
なにをしたのか、思い出そうとしても思い出せない。
でも、なにか過ちを犯したような。
 


 

携帯がない

dr-kilio 2007/08/21 23:57:36

 

確かに私は過ちを犯していた。
携帯電話がない。
思い出してみると、今日は一度も使っていない。
昨日、どこかに置いてきたのだ。
けれど、大体察しはついていた。あの部屋だ。
取りに行くべきかどうか、考えている。
もうこんな時間だ。
行くべきだろうか。
 


 

柔らかい感触

dr-kilio 2007/08/22 01:57:31

 

もう一度、身の回りを探したが、携帯電話はみつからなかった。
闇が深くなってきていた。
嫌な時間帯だが、携帯をなくした不安の方が募っていた。
家の中を順番に探してみた。
バスルーム、廊下、ピアノのある部屋…。どこにも見当たらない。
最悪な部屋が残った。
昨夜、鍵屋の携帯の留守電を確認したとき、あの部屋に置き忘れたのか。
クローゼットの部屋は、他より空気の密度が濃いように感じられた。
コードレスの家の電話で、自分の携帯番号を打ってみる。
のぞき込んだ部屋の奥で、かすかに着信のライトが点滅するのが見えた。
部屋に足を踏み入れるのはためらわれた。
けれど、あまり長い時間、ここにとどまらない方がいい。
そう思って、その光をめがけて素早く歩み寄った。
部屋の闇のどこかで、女が見ているかもしれない。
けれど、そんなことは意識していない。私は全く意識していないのだ。
そう思って、携帯だけに意識を集中して歩いた。
10歩にも満たない距離が、長いものに感じられた。
開いている入り口がどんどん遠ざかっていく。
ようやく携帯に手が届く。
掴もうとした瞬間、何か柔らかいものを掴んだ。
驚いて手を離した途端、顔の前に羽ばたくものを感じて思わず手で払った。
蛾だった。
蛾が、携帯に留まっていたのだ。
いつまでも不快な感触が手のひらに残った。
エアコンを効かせた寝室に戻っても、その感触は消えなかった。
それは、さらなる不安となって私の胸を重くした。

 
→次の夜
 


 

三本の髪の毛

dr-kilio 2007/08/23 01:41:03

 

朝、目が覚めても、昨夜闇の中で掴んだ蛾の柔らかい感触が手のひらから消えていない。
診療を始めて、様々な医療器具の硬質な冷たい感触を手のひらに押しつけると、その時だけはあの気味の悪い柔らかさから逃れることができた。
昼休みに携帯電話をバッグから取り出したときに、思わず手から落としそうになった。
携帯電話に女の長い髪の毛が3本ほど絡みついていたからだ。
あの女が、この携帯に触れている。
その考えが、蛾の感触を仲介にして、女の手に自分の手を重ねてしまったような想像へと膨らみ、一気に不快な気分に陥ってしまった。
  
あの女が、この携帯に触れている。
 
→次の夜
 


 

噛み合わない話

dr-kilio 2007/08/23 19:14:14

 

このところ、あまりよく眠れていないせいか、朝なかなか体を起こすことができない。
携帯をバッグに入れるときに、あの女の手に触れているような感触が蘇ってきた。
午後、病院にHくんの父親からまた電話が入る。
Hくんの歯の矯正になぜこんなに時間がかかるのか、ということを問い詰めてくる。私が、何度説明しても、納得してくれない。
というより、いますぐ矯正を終わらせます、という返事だけを待っているような話しぶりだ。
全く話が噛み合わないうちに、またしても一方的に電話を切られた。
自分の父親から一方的に叱責された時と同じような不快感を抱く。

 


 

悪い勘

dr-kilio 2007/08/23 23:58:05

 

以前は、「勘」というものを信じていなかった。
最近、勘が当たる、ということがわかってきた。
往々にして、悪い勘ほどよく当たる。
  
夜が更けるにつれて、家の中の空気が澱んでくるような気がする。
女の気配は感じない。
カラスを置いた監視カメラにも、異常なものは写ってはいない。
けれど、空気が重い。
夜が更けてくる。
こんな時は、早く眠りに就こう。
そう思って早めにベッドに入ってまどろんだ時に、携帯がメールを受信した。
見てみると、Iの携帯からだ。
これが昨夜からの「勘」だ。
悪い勘ほどよく当たる。
  
「こんばんは、桐夫さん。覚えていますか? K子です。桐夫さん、ひどいじゃありませんか。いきなりメールアドレスを変更してしまうなんて。あれからまた一つ増えてしまいましたが、あれはそもそも鍵屋の男が悪いのです。でも、あの晩のかくれんぼは楽しかったですね。私は、しばらく桐夫さんの隠れているところがわかりませんでした。まさか、ベッドの下に隠れているだなんて。また、今度かくれんぼして遊んでくださいね」
  
一昨日の晩、あの部屋に携帯電話を忘れている間に、女に新しいアドレスを見られてしまっていた。
あの部屋の闇の中で、いまIの携帯電話を手にしゃがんでいる女の姿が目に浮かぶ。
私の返信を待っているのだろうか。
 


 

浅い眠りから

dr-kilio 2007/08/24 01:11:43

 

女の動きをベッドの中で伺っているうちに、いつのまにか浅い眠りに入っていた。
二度目のメールが入ったのは、その時だ。
  
「桐夫さん、なぜ返信してくれないのですか? こんなに暗い、こんなに暑い部屋のなかで、たった一人で一時間も待っているんですよ。今からそちらに伺ってもいいですか? 桐夫さんは、いまどこにいるのですか? これからまた一時間待たせるつもりですか?」
  
最後の一行が、私を不安にさせた。
女は、私の返信を待っている。
けれど、どのように返信したらよいものか、見当もつかない。
関わりたくないのは当然だが、それで済むものだろうか?
メールをくれたみんなのメッセージが思い出される。
不安に押しつぶされそうな夜が、再びやってくる。
 


 

忌まわしい時間

dr-kilio 2007/08/24 02:22:27

 

いつメールが入るのか、いつ女の足音が聞こえるのか、それが不安で、何度も寝返りを打つ。
体は疲れているのに、一向に睡魔は訪れない。
こんな時間を過ごすくらいなら、こちらからメールを送った方がいいのかもしれないとも思うのだが、どうやったら打開できるのか、全く考えられない。
眠れない。
応援のメッセージのことを考えよう。
 


 

忘れるしかない

dr-kilio 2007/08/24 03:46:24

  

眠りかけるとメールが入る。
まるで、どこかで見ているかのようだ。
  
「桐夫さん、まだですか? 随分ここで待っています。こちらから伺います。どこにいるのですか? せめて、それだけ教えてください。それとも、もうかくれんぼは始まっているのですか?」
  
携帯の電源を切るのは、なぜか事態を悪くするように思えた。
携帯をクッションの間に入れて、ベッドから一番遠い部屋の隅に置いた。
今夜は、もうその存在を忘れるしかない。
そんなことはできないとわかっていても、忘れるしかないのだ。
 
→次の夜
 


 

5通のメール

dr-kilio 2007/08/24 18:17:05

 

やはり、あの後も私の携帯に女からのメールが入っていた。
なかなかそれを開く気になれず、かといって、そのままにしておくとずっと先までそのことに縛られ続けるような気がしていた。
できるだけ明るい気分の時を選んで、開いてみた。
  
「これはかくれんぼですか?」
  
「どこにいるのですか?」
  
「今から行きたいのです」
  
「私はいつでもひとりぼっちです」
  
メールは明け方まで続いていた。
最後のメールは4:44に打たれていた。
  
「桐夫さんはひとりじゃないのですね。羨ましいです」
  
メールは、全部で5通だった。
 


 

遅い帰宅

dr-kilio 2007/08/24 20:55:46

 

家に帰らないわけにもいかず、仕方なしに少し遅めに帰宅した。
家の中に女の気配は感じない。
けれど、ここのどこかにいることには変わりないのだ。
幸い、いまのところ女と出会うことはなかった。
ただ、向こうも私を捜して徘徊しているとなると、いつどこで鉢合わせになるかわからない。
廊下の角を曲がった途端、トイレのドアを開けた途端、カーテンを開いた途端、目の前にいるのかもしれないのだ。
そう考えると、家の中のひとつひとつの角、ひとつひとつのドア、ひとつひとつの闇が気にかかる。
寝室からあまり出歩かない方がいいような気がする。
 


 

女からのメール

dr-kilio 2007/08/24 22:48:08

 

今夜は何度、携帯のアドレスを替えようかと思ったかしれない。
しかし、それをやるとますます女の神経を逆撫でするのではないかと心配で、決心がつかない。
思案している間に、女からのメールが届いた。
  
「昨夜は結局、返信をもらえませんでしたね。なぜ、返信してくれないのですか? なぜ、どこにいるか教えてくれないのですか? なぜ、私を一人にするのですか?」
  
今までの柔らかめの口調から、突き詰める口調へと変わってきている。
夜の闇が体の中にスッと入ってきたようで、背筋に寒気が走った。
また、今夜も女からのメールを何度も受け続けなくてはならないのか。
この家のどこかにいる女からのメールを。
 


 

短いメール

dr-kilio 2007/08/25 00:09:08

 

また女からのメールを受信した。
開いてみると短いメールだった。
  
「桐夫さんは、みんなから応援してもらって羨ましいです」
  
一瞬、何のことかわからなかった。
けれど、すぐにそれがみんなからのメールのことだと気がついた。
女はあの晩、クローゼットの部屋で、私の携帯に残されていたみんなからのメールを読んでいたのだ。
メールの多くは、女のことにも触れていた。
ただしそれは、女に負けないで、と私を応援する時に現れていた。
女は闇の中でメールを読みながら、強い怨みを募らせたかもしれない。
その怨みは、メールをくれたみんなの方に向き始めているのかもしれない。
いま、女はどんな思いであの応援メールを反芻しているのだろうか。
どんな意図で、この短いメールが送られてきたのだろうか。
ひとつの家の中、数枚の壁を隔てて、暗闇に潜みながら怨念の陰花を膨らませている女の姿を想像した。

 


 

メールがない

dr-kilio 2007/08/25 02:17:11

 

女から、あれ以来メールがない。
かえって不安だ。
 


 

なにかの手垢

dr-kilio 2007/08/25 02:59:13

 

女からのメールがない。
不安になってベッドから起き、携帯を開いてしばらく眺めた。
みんなからのメール。そのうちのひとつを開いてみた。
奇妙な感じがした。
何かの手垢を感じた。
それがなんなのか…。
しばらく見ていて、不意に気づいた。
そのメールは、Iの携帯宛てに転送されている。
別のメールも確認した。そのメールもIの携帯へ転送されている。その次も、その次も。
みんなから送られてきたメールのすべてが、女の持っているIの携帯へ転送されているのだ。
みんなからのメールは、女がいつでも見られる状態になっているのだ。
いまも、読んでいるかもしれない。
そしてここで、最悪なことを書かなくてはならない。
申し訳ない。
女は、みんなに返信することもできるのだ。
みんなに応援してもらったにもかかわらず、その携帯を置き忘れるような失敗を犯してしまったために、最悪な事態を招いてしまった。
みんなに迷惑がかからないことを祈る。
  
ここに、女が持っているIの携帯アドレスを公開しておこう。
このアドレスから来たメールは見てはならない。
  
●●●●@●●●.●●●
  
※「●●●●@●●●.●●●」このメールアドレスは実際に公開しました 
 
→次の日
 


 

警告!

dr-kilio 2007/08/25 17:05:32

 

昨夜、女からのメールは、みんなの元に届いていないだろうか。
ここで、Iの携帯のアドレスを公開しておく。
このアドレスから来たメールは、女からのメールだ。
あらかじめ着信拒否にしておくか、開かずに捨ててほしい。
よく覚えておいてほしい。
次のメールアドレスから来たメールは見てはいけない。
 
●●●●@●●●
 
Iの名字を繰り返しただけのアドレスなのに、今では彼の最期の声のように読めて仕方がない。
 
 


 

廊下に置かれた日記

dr-kilio 2007/08/25 22:56:30

 

一日じゅう家にいるのには堪えられなくて、とりあえず外出していた。
行く当てもないので、散歩をするつもりだったが、暑さがつらくなりカフェに逃げ込んでいた。
通常ならこういう日は、美術家や博物館を巡れば、たちまちのうちに日が暮れてしまうものだが、今日はそうはいかない。
女からのメールが、みんなのもとに送られてくるのではないかと思うと、何にも集中することができない。
辺りが暗くなったところで、家に帰った。
ポストに見知らぬ名前の女性から封書が届いている。
その封書を手に取って、薄暗い家の中に入った。
玄関を開けるときは、いつも緊張する。一日空けた家の中がどんな風になっているのか、それが恐ろしいのだ。
しかし、家の中は出たときのままだ。それもいつもどおり。
ただ、確実に女の気配は濃くなっている。
まだ早い時間のうちに、家の中をひと回りしてみる。
たったひとつだけ、変わっているところがあった。
小学生の頃の日記が、開いたままの状態で、廊下の隅に置かれていた。女が、たった今まで、それを読んでいたにちがいない。
女がなにを読んでいたかなど、興味はない。というより、私はその日記自体に興味がないのだ。
「Killioの日記」を無造作に拾い上げると、私はそれを廊下の突き当たりの納戸の中に仕舞った。この納戸の扉は建て付けが悪く、開けるのに要領が要る。私でさえ、何回かやらないと開けられない。そのために、中に入っているものは、もう何年も使っていないようなものばかりだ。日記は、古い旅行用のトランクの上に置いたつもりだったが、置き方が悪かったのか、下に落ちてしまったようだ。
いずれにしても、私にとっては不要なものだ。そのつもりでこの納戸に入れたのだ。わざわざ探すこともないだろう。
闇がまた深くなっている。
 


 

最良の選択

dr-kilio 2007/08/25 23:41:22

 

あの女からみんなのところにメールは届いていないだろうか。
そればかりが心配だ。
もし届いても、決して開かないようにしてほしい。
あれ以来、私には女からのメールは届いていない。
標的を他に向けたのではないだろうか。
みんなのうちの誰かにターゲットを絞っているのかもしれない。
思い切って、女にメールを送ってみようか。
みんなに迷惑をかけないためには、それが最良の選択のように思える。
 


 

女宛てメール

dr-kilio 2007/08/26 00:12:05

 

女にメールを送ってみた。
 
「私はいま、ダイニングルームにいる」
 
これだけのメール。
ダイニングルームの照明を全部つけて、真ん中に置かれたテーブルの前に座った。
女は姿を現すのだろうか。
 


 

再度、警告!

dr-kilio 2007/08/26 01:19:26

 

家の中は静まりかえったままだ。
何の動きもない。
このまま、時間だけが過ぎていくのだろうか。
もう一度、みんなに警告しておく。
次のアドレスから送られてきたメールは、女からのメールだ。
決して開いてはいけない。
  
●●●●@●●●.●●
  
 


 

廊下で音

dr-kilio 2007/08/26 02:18:12

 

廊下できしむ音がした。
勇気をふるって、廊下に繋がる扉を開けてみた。
廊下の灯りも点けてはいたが、ダイニングルームを明るくしていたせいで、薄暗く感じられた。
左右をゆっくりと見てみる。
なにも変わったところはなかった。
廊下からダイニングルームへ、かすかなぬるい空気が流れた。それが首筋に絡みつくようで不快だ。閉めきっていた廊下の蒸した空気が入ってきたのだろう。
首筋に手を当てると、汗ばんでいた。
タオルで汗を拭きながら、また時計を見た。
ようやく2時間が過ぎようとしている。
 


 

動きがない

dr-kilio 2007/08/26 03:19:17

 

やはり、何の動きもない。
女は今夜、姿を現さないのだろうか。
みんなのうちの誰かのところに、姿を現していなければ良いが。
動きがないのが、かえって不気味だ。
 
→次の日
 


 

ソファーで目覚めた

dr-kilio 2007/08/26 14:18:43

 

結局、昨夜はダイニングルームのソファーで寝てしまった。
寝汗をかいて起きたのが7時頃。十分な睡眠とは言えなかった。
もう一度寝てもよかったが、今度ベッドで横になったら、夕方まで眠ってしまいそうな気がした。
そんなことをしたら、今夜の夜は長くなる。
そう考えたら、多少睡眠不足の方が今夜が楽だ。
結局、昨夜、あの女は現れなかった。私のメールを見ていなかったのだろうか。
もしかしたら、昨夜、私が大丈夫だった代わりに、みんなに女がメールを送り、そのうちの誰かの家に訪れていたのかもしれない。
一晩中の恐怖と不安。
それを思ったら、ますます申し訳ない気持ちでいたたまれなくなる。
一体、みんなはどんな夜を過ごしたのだろうか?

 


 

再度、警告!

dr-kilio 2007/08/26 19:11:47

 

胸騒ぎがするので、外出していたが夕方に帰宅した。
別段、変わったところもない。
けれど、この胸騒ぎは一体なんだろう?
昨夜が安全だったからと言って、油断はしないでほしい。
あの女の携帯のアドレスを、もう一度ここに記しておく。
もしメールが届いても、決して開いてはならない。
興味本位で見てしまったら、後悔することになるだろう。
以下のアドレスから来たメールは絶対捨ててほしい。
  
●●●●@●●●
  
ついこの間まで、Iの最期の声のように読めていたこのアドレスが、今ではあの女の声のように読めてしまう。
  
「会いたい、会いたい」
 


 

塩が守ってくれる

dr-kilio 2007/08/26 23:44:03

 

次第に夜が更けてくる。
昨夜のメールの返事は、女から届かない。
家の中でじっとしていても、今夜は女の気配を感じない。
女はみんなの方に関心を寄せているのではないだろうか。
そんなことを考えているうちに、私の寝室とダイニングルーム、私が最近夜を過ごしたこの2箇所の共通点に思い至った。
この2つの部屋のどちらにも、塩が置かれていた。
私の寝室には、昔から家にあった岩塩のオブジェが置かれていた。ダイニングルームのテーブルの上にも、片づけ忘れた塩が置かれていた。
そのために、女は私の前に姿を現さなかったのかもしれない。
あくまで可能性にすぎない。
近くに塩を置くことで、自分の身を守れるかもしれない。
できることなら、今夜は、塩を近くに置いて過ごしてほしい。
 


 

月が美しい

dr-kilio 2007/08/27 01:23:35

 

月が美しい。強い光で夜空を照らしている。
けれど、今夜はそれが禍々しく見える。
胸騒ぎが消えない。
前歯の裏の29本目の歯が、今夜は疼いてたまらない。
明後日は皆既月食だという。
睡眠不足で、時々激しい睡魔が襲ってくる。
どうか、安全のために塩を近くに置いてほしい。
 
→次の夜
 


 

口の中の違和感

dr-kilio 2007/08/27 21:27:17

 

睡眠不足のため、いつのまにか眠ってしまっていた。
目が覚めたのは、口の中の違和感のためだった。もう慣れたはずなのに、前歯の裏の29本目の歯が、今朝は大きく感じられる。
疲れが溜まると親知らずが痛み出すように、このところの疲労のためかもしれない。
昨夜から疼いてはいたが、それとは別に大きくなっている感じなのだ。
診療に支障が出るほどではないが、何かというと気にかかる。
昼食から帰ってくると、矯正を行っているHくんから電話があったという伝言を受けた。
時間もなかったので、そのまま午後の診療に入ってしまった。
もう一度電話するということだから、改めて連絡があるだろう。歯が疼き始めると、少しずつ粗雑になることが自分でも意識できる。
女が潜んでいるかもしれない家に、早めに帰宅した。
 


 

明日なにかが

dr-kilio 2007/08/27 23:42:00

 

家の中は静まりかえっている。それが逆に不気味だ。
女がなにを考えているかがわからない。
土曜日にポストに入っていた封書を開けていなかったことに気づいた。
差出人には、何の見覚えもなかった。
けれど、読み始めてすぐにわかった。
それは短い手紙だった。
  
「私は、鍵屋を営んでおりますTという者の妻です。先だって、主人がそちらに伺う、と言い残したまま消息を絶っております。何か、心当たりはないものでしょうか。今度、一度伺って、お話を聞かせて頂きたいと思っています。
けれど、ご連絡致しましたのは、取り急ぎお伝えしなくてはならないことがあったからです。
8月28日に気をつけてください。
何のことかおわかりになりませんか?
主人がいなくなった日から15日目に当たります。
8月28日を無事過ごせたら、そちらに会いに伺います」
  
8月28日と言えば、明日ではないか。
一体、明日なにが起こるのか。
急に不安が増してくるのを感じた。

 


 

もう一度アドレス公開すべきか

dr-kilio 2007/08/28 01:18:52

 

明日に対する不安が、押さえきれなくなってきている。
このまま、明日一人で過ごせるだろうか。
気をつけて、ということは女のこと以外には考えられない。
今夜は不気味に静まりかえっている。
女は一体なにを考えているのだろうか。
みんなのうちの誰かに、女がメールを送っているとしたら、その中になにか女の思いが含まれているかもしれない。
もう一度、みんなからメールを募集するべきだろうか。
それが、ますますみんなの迷惑になるのではないかと思うと、簡単には踏み切れない。
けれど、明日何かが起こるとしたら、果たして一人で乗り切れるだろうか。
やはり、もう一度、私のメールアドレスを公開すべきだろうか。
 
→次の日
 


 

バランスの崩れ

dr-kilio 2007/08/28 15:46:44

 

昨日の手紙のことが気になって仕方がない。
今日、一体なにが起こるというのか?
けれど、その反面、これ以上最悪な事態は起こりようがないのではないかという気もする。
ここ1〜2ヶ月で、私の身に起こっていることを知ったら、ほとんどのことは大変なことではないのではないか。
そうは思いつつ、それが自分の不安に対して、少しも慰めになっていないことを知っている。
自分の中の不安の理由は、月にあった。
数日前から月のことが気になっていた。月の明るさが、自分にとって不安を掻き立てる要因になっていたのだ。
そんな中で、今夜は皆既月食だ。何かのバランスが崩れてもおかしくない。
鍵屋の妻が警告をよこした日と皆既月食が重なったのは、偶然ではないだろう。
考えた末に、今日は早めに帰ることにした。

 


 

置いてみた

dr-kilio 2007/08/28 16:31:17

 

一応、監視カメラの前に、前と同じように携帯電話を置いてみた。
このアドレスを公開すべきかどうか、まだ迷っている。
みんなのメッセージが頭を巡る。
あんな温かいメッセージをくれた人に、迷惑を掛けられるだろうか。

 


 

皆既月食が始まる前に

dr-kilio 2007/08/28 16:52:45

 

皆既月食が始まる前に結論を出すべきだろう。
みんなに応援を頼むのかどうか。
皆既月食が始まるのは、6時52分からだ。
不安ばかりが募る。
もしアドレスを公開するとしたら、携帯とノートパソコンの両方で受け取れるようにしておこう。
しかし、女からみんなにメールが行ったとなると、迷惑がかかっていることは確かだ。
それも微少な迷惑ではないはずだ。ましてや、女が訪れた家があったとしたら。
それを考えると、これ以上、みんなを巻き込むわけにはいかない。
やはり、今回の不安は、一人で乗り切るべきだ。
 


 

Hくんが来た

dr-kilio 2007/08/28 17:33:27

 

家の呼び鈴が鳴ったので驚いた。見てみると、Hくんが立っている。
そして、今もダイニングルームにいる。
何故、こんな時にやってくるのだろう。
用件は、やはり父親のことだ。先日、熱心に話を聞いたのが悪かったのかもしれない。
明日ならともかく、なぜ今日なのかと考えると、苛立ちを隠すことができない。
早く帰ってほしい、という気持ちが、自分でも押さえきれないほどになる。
そこで、こうして一旦ダイニングルームを離れたわけだ。
それにしても勘の悪い子だ。自分の中で憎悪の気持ちに変わっていくのがよくわかる。
早く帰ってほしい。

 


 

お仕置き

dr-kilio 2007/08/28 18:04:46

 

Hくんは悪い子だ。
今日が大変な日で、私が不安に押しつぶされようとしているのに、自分の不満ばかりを訴えてくる。
子供の特権で、何でも大人は聞いてくれると思っている。
一度、お仕置きをした方がいい。
いや、お仕置きは過ちを犯したときにすぐやらなくては意味がない。
これからダイニングルームに戻って、お仕置きをすべきだ。
Hくんが、これ以上過ちを繰り返さないためだ。
早くしないと、皆既月食が始まってしまう。

 


 

物音がする

dr-kilio 2007/08/28 18:18:02

 

なにを考えていたのだろう。Hくんを見ているうちに、どんどん苛立ちが募ってきてしまった。
お仕置きといいながら、Hくんにその苛立ちの解消をしようとしていた。
もう、今はHくんは帰ってしまった。
私の雰囲気に、次第に居づらさを感じてきたようだ。
  
Hくんが帰ってから、客間の方で何か音がしている。
何かが壁にぶつかるような音が、断続的に聞こえる。
久しぶりに女の気配を感じた。
今日は、女が動き始めるのが早い。
やはり、何かが違う。
さっきまで人がいた、ということが、一人になった孤立感をより高めてくる。
人と何かの形で繋がっていないと、不安は解消できない。
やはり、私のアドレスを公開すべきだろうか。
いや、しかし。
 


 

アドレス公開

dr-kilio 2007/08/28 18:30:20

 

客間の音がひどくなっている。
明らかに何かの意思表示を行っている。
恐ろしくて堪らない。もうじき、皆既月食の時間だ。
これ以上は、無理だ。
ここにアドレスを公開しよう。
覚悟のある人だけ、メールを送ってほしい。
乗り切れた暁には、できるだけ返信をしたいと思う。
 
kilio@○○○○.○○○
 
メールを送ってくれれば、監視カメラの前の携帯電話が光るのが見えるはずだ。
→www.ghost-cam.com
 
私は、自分のノートパソコンで、みんなのメールを読むことができる。
 
 
※「http://www.ghost-cam.com」現在はご覧になれません。
※「kilio@○○○○.○○○」このメールアドレスは実際に公開され、読者からのメールを募った。

 


 

Hくんの父親

dr-kilio 2007/08/28 19:11:15

 

皆既月食が始まった時間にやってきたのは、Hくんの父親だった。
親子揃って、間の悪いときにやってくる。
おそらく、Hくんに住所を聞いて訪れたのだろう。
威圧感を感じさせる体型で、有無を言わせず家に上がり込んできてしまった。
相変わらず、話は全く噛み合わない。
それどころか、私の方が苛立ちを抱えているものだから、それを相手が察知して、余計に険悪な雰囲気ができあがる。
こんなことをしているわけにはいかない。
女がこの家のなかで、なにかをしようとしている。
それは、Hくんの歯列矯正の
時期の話どころではないのだ。
夜空では、月が暗い色へ変色しつつあるのだろう。
家の中に、湿り気のある澱んだ空気が満ちてくる。
Hくんの父親は、そんなことにかまうことがない。
またダイニングルームに戻って、同じ話を繰り返さなくてはならないのだろうか。
それは、随分前、同じ部屋同じ時間に繰り返された父親との会話によく似ていた。
夕飯前のダイニングルーム。
父親は、私に向かって、様々な説教をした。私には私の言い分があったが、それに耳を貸そうとしなかった。父親のなかで、私は全く評価されない人間だった。
それと全く同じ状況がここにあった。
長い時間封印していた憎しみが、不意に生々しく浮かび上がってきた。
 


 

同じ話の繰り返し

dr-kilio 2007/08/28 19:27:41

 

同じ話の繰り返しだ。
全く意味がない。
私がそこにいようがいまいが、全く関係ないだろう。
同じ話の繰り返しなのだから。

 


 

私のアドレス

dr-kilio 2007/08/28 19:44:46

 

うんざりする。
自分の父親にしか見えない。
私の存在が、どんどん矮小化されていく。
子供の頃、このような状況が長く続くと、息が詰まってきてやがて意識を失っていたことを思い出す。
あの意識を失う直前の感覚だ。
みんなからのメールが見たいのだ。
みんなと繋がっているときだけが、安心できるのだ。
  
ここにもう一度、私のアドレスを公開しておこう。
  
●●●●@●●●
  
メールを送ってくれれば、監視カメラの前の携帯電話が光るのが見えるはずだ。
→www.ghost-cam.com

 


 

太ももに痛み

dr-kilio 2007/08/28 22:15:26

 

ひどい痛みで目が覚めた。
左の太ももに激痛がある。無理な体勢で横になっていたため、太ももを確認するのに手間取った。
よく見ると、太ももにナイフが刺さっている。ベージュのズボンは血に染まって赤黒くなっている。
痛みが走る中で、この状況について考えてみた。
どう考えても、あの女の仕業だ。
今までは、犠牲者は私以外の誰かだった。
そして、予告された今日、犠牲者は私になったのだ。
皆既食の最中に襲いかかられたにちがいない。
けれど、女はし損じた。私はまだ生きている。
女から逃れて、たぶんここに身を隠したのだろう。ここは、掃除道具などが仕舞われている半畳くらいのスペースだ。確かに、ここなら安全な気がする。

 


 

止血

dr-kilio 2007/08/28 22:37:16

 

とりあえずナイフを抜いて止血の処置はしたが、意識を失っている間に随分出血していたようだ。
傷は、太ももだけではなかった。腕や手にも何本かの浅い傷がある。
女と争った時にできた傷だろう。
これだけ出血しているのであれば、血痕も残っているだろう。
このまま、ここにいてもいずれ見つかるに違いない。
早くどこかに移動しなくては。

 


 

メールありがとう

dr-kilio 2007/08/28 23:06:47

 

みんな、応援してくれてありがとう。
ようやく、メールを読むことができた。
やはり、あの女からのメールが届いていたのか。迷惑を掛けてしまって、本当に申し訳ない。
それにもかかわらず、またたくさんの応援メッセージをもらって感激している。
女からみんなに届いたメールの内容は、大きなヒントになった。私が逃げられる方法がある。
「Killioの日記」の28P。
とにかく、これから納戸に放り込んでしまった「Killioの日記」を探してくる。
 


 

いまのうち

dr-kilio 2007/08/28 23:58:59

 

廊下の奥の納戸に行くためには、クローゼットのある部屋の前を通らなくてはならない。
とりあえず、納戸で日記を取り出したら、ダイニングルームに逃げ込もう。そこは、この間の晩安全だった場所だ。
落ち着いてやれば、大丈夫だ。
クローゼットの部屋から物音は聞こえない。
いまのうちだ。
 


 

どっちだ?

dr-kilio 2007/08/29 00:04:44

 

クローゼットの扉が少しだけ開いている。
その前を通らなくてはならない。
開いているということが、女の出たあとだ、ということなら安全だ。けれど、逆であれば…。
 
どちらかに賭けるしかないだろう。
どっちだ?
 


 

納戸の日記

dr-kilio 2007/08/29 01:07:38

 

やっとダイニングルームまで逃げ込んだ。
クローゼットのある部屋の前を通るときは緊張した。
横目で中を見ると、3体の死体が部屋の真ん中に寝かされていた。女の姿は見えなかった。
納戸の戸の立て付けが悪かったために、開くときに音がした。
慌てて中に入って身を潜めた。
明らかに、女が気づいたようだった。廊下を歩いてくる音が聞こえる。
濡れたような足音だ。
クローゼットのある部屋の前で立ち止まっている。こっちを見ているのだろうか。
やがて、足音はクローゼットの部屋に消えた。
私はしばらく息を殺していた。
クローゼットの部屋の中から、何かを突き刺すような鈍い音が聞こえてくる。女が何かをしているようだ。けれど、その音がしている間は、逆に安全だ。
ようやく体を動かすことができた。
無理な体勢を続けていたために、太ももの傷が痛む。
日記は、トランクの奥に落ちていた。
それを拾い上げて、体を起こした。
耳を澄ますと、音は続いている。
ゆっくりと顔を出し、廊下を伺った。女の姿はない。
私は計画を変えた。ダイニングルームの扉はクローゼットの部屋の扉の前だ。そんな扉を開いたら、気づかれてしまうに決まっている。
もう一度廊下を戻って、自分の寝室を目指そう。
私は、ゆっくり体を動かし、音のしないように納戸から抜け出した。
クローゼットの部屋の音はまだ続いている。
その音が続くうちに、廊下を抜けよう。
太ももが痛んで、なかなか思うように進めない。
部屋の前を通り過ぎるとき、中を覗かないように意識した。体が動かなくなってしまったら、その時は危険だと思ったからだ。
廊下の角を曲がるときに、少し振り返った。そこには何の姿もなかった。
安心して自分の寝室を目指した。
寝室に入る直前に気がついた。いつのまにか音がやんでいる。
慌てて寝室に体を滑り込ませた。
 


 

クローゼットの音は止まった

dr-kilio 2007/08/29 01:47:27

 

あれから、何の異変もない。
ただ、クローゼットの音は止まっている。
女が気づいたためなのか。女は私の後を追いかけてきたのだろうか。
そうだとすると、いま寝室のドアの前に立っているのかもしれない。

 


 

28P

dr-kilio 2007/08/29 02:05:41

 

みんなからのメールに後押しされるように、もう読むことはないと思っていた「Killioの日記」を開いてみた。
28ページ。
それは、8月16日の日記だった。
お盆休みで父親の故郷に帰っていた。16日はお盆の最後の日だ。
亡くなった母親を送る送り火を焚いたことが書いてあった。
子供の頃の記憶が不意に蘇ってきた。
田舎の緑と清涼な空気の夕暮れ。送り火の煙の匂い。
けれど、それはどんなことを示しているのだろうか。
私にメールして、みんなの考えを聞かせてほしい。
 
●●●●@●●●
 
 


 

仏間へ

dr-kilio 2007/08/29 02:29:17

 

確かに、この家の中で母親に縁の深い部屋に向かうべきだろう。
それは、どこか。
やはり仏間だろうか。
とりあえず、仏間に向かうことにする。

 


 

Hくんの父親

dr-kilio 2007/08/29 02:39:06

 

仏間にたどりついたら、そこには、もう帰っていたと思っていたHくんの父親がいた。
H君の父親は深い傷を負っていて、全身血まみれだった。けれど、かろうじて息はしていた。
驚いた私が慌てて近づくと、彼は大きく目を見開いて、弱々しい力で抵抗しようとした。きっと、相当恐ろしい目に遭ったのだろう。
力ない彼の手首を押さえながら、容態を見てみた。出血が著しく、そのために体力が落ちてきていた。手で傷口を押さえてみると、まだ出血が続いている。いま止血しても、助かる見込みはないだろう。
彼は、ひどく怯えた声で、私に何かを哀願してくる。
意識が混濁して、あの女と私の区別がつかなくなっているようだ。
私が抱えている間、彼は怯え続けていた。

 


 

ここでいいのか?

dr-kilio 2007/08/29 03:02:45

 

Hくんの父親が息を引き取った。
最後の呼吸をしたかと思ったら、次の呼吸がもうなかった。蝋燭の火が消えるように亡くなってしまった。
また、1体死体が増えた。
けれど、それでは止まらないだろう。あの女は、私を殺そうとしている。むしろ、Hくんの父親は、それに巻き込まれてしまったのかもしれない。
日記のいう28ページ。母親のいる部屋とは、ここのことだ。
でも、本当にここでいいのか。不安がよぎる。
みんなの意見を聞かせてほしい。
  
●●●●@●●●

 


 

誰かが歩いている

dr-kilio 2007/08/29 03:25:33

 

さっきから仏間の手前の部屋を誰かが歩いている音が聞こえる。
仏間とその部屋は襖で区切られているだけだ。
どちらも畳の部屋のため、大きな音はでない。
ただ、畳の表面を足の裏が擦る音が、かすかにサッサッと聞こえる。
音が消えたかと思うと、また新たに聞こえてくる。
襖の向こうを行ったり来たりしているようだ。
襖に近づいて気配を伺いたいが、その瞬間、襖を開けられたら、と想像すると身の毛もよだつ。
これは、女がこの部屋に入れない、という証だろうか? それとも、私の不安を掻き立てて喜んでいるのだろうか?

 


 

ここではない

dr-kilio 2007/08/29 03:42:33

 

メールの意見にもあった通りだと思う。
確かに、仏間は危険な気がする。
落ち着いて、辺りの様子を窺ってみた。
畳は血の海になっている。彼が、どこからか逃げ込んできた様子ではない。
ということは、H君の父親はここで殺されたのだ。
  
ここには、女は入ってこられるということではないか。
襖の向こうの足音が次第に大きくなってきている。
どうやら、部屋の奥の方から、左右へ歩きながら次第に仏間へと近づいてきているようだ。
私の不安を最高潮にしたところで、襖を開けるつもりなのか。
逃げた方がいい。

 


 

トイレに

dr-kilio 2007/08/29 04:12:56

 

とりあえず、仏間の続きの部屋を抜け、廊下に出た。
廊下の突き当たりにある、トイレに身を潜める。
28ページの意味を知りたい。
意見をきかせてほしい。
  
●●●●@●●●

 


 

28Pの意味

dr-kilio 2007/08/29 04:29:49

 

みんなのメールを読み返してみた。
28Pとは、28ページのこととは限らない。
28日のことを示している、という考え方は正しいかもしれない。
ありがとう。
28日の日記を見てみる。
いいつけを聞かなかったために、2時間も閉じこめられたことが書いてある。
確かに、私は子供の頃、父親に叱られては閉じこめられていた。
そこは、母親のものが仕舞われている部屋だった。
考えてみて、一つのことに思い至った。
Pとは、ピアノのことではないか。
その部屋には、生前の母親が弾いていたピアノが置かれていた。物置と言うよりは、ピアノの部屋と言った方が近いかもしれない。
28Pとは、8月28日の日記に書かれているピアノの部屋のことだ。

 


 

引っ掻く音

dr-kilio 2007/08/29 04:55:13

 

女の気配が近づいてくる。
廊下の壁を何か鋭利なもので引っ掻く音が聞こえる。
女は、私のいる場所がわかっているのだろうか。
廊下の突き当たりには、トイレとバスルームしかない。
トイレのドアに手をかけられたらおしまいだ。
開かないことがわかれば、そこに誰かがいるということがわかる。
バスルームに入ってもらえれば、一瞬の隙をついて逃げ出すことができる。
どちらを開ける?

 


 

立ち止まった

dr-kilio 2007/08/29 05:04:17

 

女は立ち止まった。
考えている。

 


 

待て

dr-kilio 2007/08/29 05:05:58

 

バスルームを開けた。
待て。少し待て。
女が中に入ってから駆け出すんだ。

 


 

ピアノの部屋

dr-kilio 2007/08/29 05:26:35

 

ピアノのある部屋に逃げ込んだ。
女が背後からすごい勢いで走ってくるのがわかった。
振り返ることなく、この部屋に飛び込んで、ドアを閉めた。
激しくドアを叩く音。
私はドアを体で押さえ続けた。
  
今は、女は静かになっている。
ドアの外にいるのか、立ち去ったのか。それはわからない。
ここにいることにしよう。
みんなのメールを読み返しながら。
そして、新しいみんなのメールを待ちながら。
  
●●●●@●●●

 


 

生きている

dr-kilio 2007/08/29 23:49:56

 

どうやら生きている。

 


 

悪い夢

dr-kilio 2007/08/30 00:34:47

 

また、悪い夢を見た。
全身が汗と血でぬるぬるしている。
でも、生きている。

 


 

虫の這う夢

dr-kilio 2007/08/30 01:06:14

 

体じゅうを虫が這っている夢を見た。
汗と血で、全身の皮膚が痒い。そのための夢だろう。
太ももの痛みが重い。
少し動いてみる。
もう少し休んでから。

 


 

錯覚

dr-kilio 2007/08/30 02:36:31

 

目覚めたら、ピアノの部屋だった。
一瞬、自分が何故ここにいるのかがわからなかった。
子供の頃に戻ったように、この部屋に閉じこめられたのかと錯覚した。それくらい、部屋の中は変わりがなかった。
けれど、今回は閉じこめられたのではなかった。閉じこもったのだ。
そのことを思い出すのには、そうは時間を要さなかった。
太ももに重く鈍い痛みがあった。血は止まっていた。貧血を起こすほどではなかったから、それほど著しい出血ではなかったのだろう。傷もそれほど深くない。自分で縫合できる範囲だろう。
とにかく、一旦ここを出て、傷の手当てをしておかなくてはならない。
歩くと痛みが強まるため、自由に動くことができない。安全を確かめてから、寝室に移ろう。
そこには、傷の手当てのできるものが揃っている。
家の中の気配を窺った。何の物音もしない。
この部屋の外で、女が息を殺して立っていたらどうしよう。
昨夜の最後の記憶が蘇る。
みんなからのメールを読み返そう。自分一人ではないということで、安心感と冷静さを取り戻すことができる。
しばらく、メールを読み返そう。

 


 

部屋を出る決意

dr-kilio 2007/08/30 03:11:55

 

部屋を出る決意を固めた。
ドアに背中を押しつけて、外の気配を窺いながらメールを読み返した。
その間、一切の物音がしなかった。
もうこんな時間になっている。この部屋に閉じこもって20時間以上が経過している。
そんなに長い時間、部屋の前で待ち続けていることは考えづらい。
女がいるとすれば、クローゼットの部屋か、Hくんの父親の死体がある仏間だろう。
とりあえず、寝室から必要なものをこの部屋に持ってこよう。昨夜安全だった場所で、今夜も休むことにしたい。
全身が、疲労によって泥のように重い。太ももの傷が、体力を消耗させている。
とにかく、休まなくては。
安心できるこの部屋で、今夜は休みたい。

 


 

蛇口の水

dr-kilio 2007/08/30 04:13:40

 

家の中は静まりかえっていた。恐ろしいくらいの静寂。自分の立てる音以外、なにも聞こえなかった。
寝室には無事たどり着けた。ただ、至る所に血の痕が残っていた。昨夜の出来事が生々しく思い返される。
寝室で消毒薬と針と糸、ガーゼなどを急いで集め、毛布を一枚掴んで廊下に出た。奇妙な感じを受けて振り返ると、寝室の壁に塗れた女の手形がついていた。
この部屋も安全ではなかったということだ。冷たいものが背筋を走った。
すぐにでもピアノの部屋に戻りたかった。けれど、どうしようもないほどの喉の渇きを感じていた。
一度キッチンによって、何か飲み物を取っていくべきだ。
明かりの消えたキッチンは、蛇口が開いていて、一筋の水が流れ続けていた。
ここも安全ではない。
冷蔵庫を開けて、水とチーズとパンを抱え、足を引きずりながら廊下へ出た。
耳を澄ませてみる。何の物音もしない。
辺りの物音に気を配りながら、ピアノの部屋に戻った。

 


 

傷の縫合

dr-kilio 2007/08/30 04:55:40

 

傷の縫合を済ませた。
自分で自分を縫うのは初めての経験だったが、冷静に処置することができた。ひと針、ひと針の痛みだけは耐え難いものがあったが。
その後、簡単な食事を取って、ようやく人間らしい感覚が戻ってきた。
今夜は、ここで休もう。
少しでも回復しておかなくては。
みんなのメールに勇気づけられる。
今夜も、応援してほしい。
  
●●●●@●●●

 
→次の夜
 


 

醜い傷痕

dr-kilio 2007/08/31 00:21:46

 

昼も夜もよくわからないまま、何度も夢にうなされ、何度も目覚め、また眠りに落ちては夢にうなされた。
窓のない、防音の部屋の中で、血と汗で汚れた服のまま、太ももの痛みに耐えていた。
子供の頃、ここに閉じこめられて感じた感覚、世界にたった一人で取り残されたような感覚が、自分の中で蘇ってきた。
けれど、あの頃と違うことがある。
みんなからのメールが読めるということ。それによって、私は精神の均衡を保つことができている。
たくさんの応援のメールがありがたい。
私は多くの人と繋がっている。
一人だけで長い時間を過ごすのは危険だ。
  
ガーゼを取り替えるために傷口を見てみた。昨日はうまく縫合できたと思っていたが、いま見てみるとひどい縫合だ。傷痕は、醜く残るだろう。

 


 

トマト、ハム、レタス

dr-kilio 2007/08/31 01:49:48

 

家の中に、女の気配は消えている。いままで3回、いつもそうだった。誰かが死んだ後は、不意に静かになる。
家の中に充満していた密度の濃い空気が、途端に薄らいでいくようだ。
用心しながら、ピアノの部屋を出た。
とにかく片づけなくては。いままでどおり、家の中を掃除して、自分の手に取り戻さなくては。
キッチンでミネラルウォーターを飲み、冷蔵庫の中のすぐに食べられるものを口に入れた。空腹だが、長い時間喉をなにも通っていなかったため、嚥下するのに苦労する。トマト、ハム、レタス、ポテトサラダ、ヨーグルトなどを、次々と胃の中に収めた。
手の先まで温かくなるのが感じられた。
傷のために発熱していたが、いくらか体も軽くなった。わずかだが、熱も下がったのだろう。

 


 

血を吸った畳

dr-kilio 2007/08/31 03:56:32

 

Hくんの父親は、私の最後の記憶のままに、仏間に倒れていた。
仏間の畳は、彼の血を吸って少し膨らんでいた。おびただしい血が流れたのだろう。いまは黒ずんではいるが、足を置くと中から血が滲み出る。
ちゃんとした照明をつけるのは避け、隣の部屋の明かりだけで作業を進める。
仏壇の扉を閉めてから、彼の体の向きを変えようとした。
今までのどの死体よりも体が大きい上に、私は太ももに力が入らない。
脇の下に手を入れて彼の上体を起きあがらせようとした瞬間、血で足が滑った。彼の体の下に入り込んでしまうような格好で、背中から倒れ込んだ。その途端、腰と背中に鋭い痛みを感じた。慌てて体の向きを変えようとして、今度は脇腹に鋭い痛みを感じた。
のたうちながら、H君の父親の体の下から這い出した。
痛みはまだ続いている。ゆっくりと脇腹を見てみるが、よくわからない。手を滑らせてみると、何か尖ったものに触れた。慎重に引き抜いてみた。
虫ピンだった。
服の上から、長さ4センチくらいの虫ピンが刺さっている。
腰を探るとそこにも1本、背中にも同じものが1本刺さっている。
恐る恐る移動して、仏間の明かりをつけてみる。
Hくんの父親の体の上からその周囲に無数の虫ピンが撒かれていた。
乱れたシャツのしわの間、開かれた襟から胸の中、髪の毛の間、少し開いた口の中。虫ピンは至る所に入り込んでいた。
何故、このようなことをするのか。
一気に気力が失せた。
とてもいま、その虫ピンをすべて取り除いて処置をするような体力はない。
先ほど食べたものが、少しずつ私を取り戻させてくれるまで、作業ができないだろう。
疲れた。

 
→次の夜
 


 

アドレス公開は明朝まで

dr-kilio 2007/08/31 21:37:08

 

昼過ぎに目覚めて、病院に連絡を入れた。
無断で休んでいると、支障を来してしまいそうだ。
傷による熱は随分下がった。体も少しは軽くなってきている。
太ももの傷を保護して、無理矢理シャワーを浴びた。
体の表面を覆っていた血や汗を洗い流すと、人間らしい気分を回復することができた。
シャワーの後、みんなからのメッセージを読み返した。
多くのメッセージで勇気をもらうことができた。
携帯電話は、監視カメラの前からもうじき取り戻してくる。メールのアドレスは、明日の朝6時まで公開している。
今夜も、多くのメッセージをもらえたら嬉しい。
疲れが取れたら、できるだけ返信するつもりだ。
 


 

二通目の手紙

dr-kilio 2007/09/01 01:49:41

 

新聞が溜まっていると近隣に怪しまれるため、数日分の新聞を取ってくる。
外の空気は冷たく、清涼感があった。一気に、自分の意識が広がっていくのがわかる。
ポストには、いくつかのDMと一緒に1通の封書が入っていた。
鍵屋の妻からの2通目の手紙だ。
寝室に戻って封を切ってみた。
「二度目の手紙になります。お会いしてもいないのに一方的に手紙をお送りする非礼をお許しください。
皆既月食の夜は無事過ごせましたでしょうか? 何か異変がなければよかったのですが。
さて、近いうちにそちらに伺わせていただきます。一度ご挨拶を兼ねて、お話をさせていただきたいと思っております。今週の週末などはいかがでしょうか?
お電話番号もわからないので、住所だけを頼りにお手紙を差し上げました。このたび伺う件も、このような形でしかお知らせできません。不躾とは存じますが、何卒ご容赦ください」
一体、何の用件があるというのだろうか。
ただ、以前の手紙で皆既月食の晩のことは警告していた。
何かを知っていることは確かだ。
重要なヒントを与えてくれる人物なのかもしれない。
週末になってやってくるのを待とうと思う。
何かがわかってくる期待と知ってしまうことへの不安が入り交じる。

 


 

記憶の回路

dr-kilio 2007/09/01 02:33:54

 

夜が更けてくる。家の中は静寂に満ちている。
傷ついた動物が、森の中で気配を伺うようにして夜を過ごしている。
みんなからのメールの受付も、あと数時間だ。
逃げることに懸命であまり意識しなかったが、ピアノの部屋に入ったりKillioの日記を開いたりすることは、じぶんではずっと避けていたことだった。
女から逃げなくてはならなかったために、いつのまにか自分の禁忌を破っていた。
ずっと鍵をかけていたものに触れたことで、急に自分の記憶の回路が開き始めている。
何かが動き始めている予感がする。
でも、それは良いことなのだろうか? 今の私には、その判断がつかない。
闇の中で考えてみる。

 


 

みんなありがとう

dr-kilio 2007/09/01 04:03:06

 

みんなありがとう。もうじき、メールの受付は終了する。
みんなのおかげで女から逃げることができた。
メールのアドバイスがなかったら、太ももの傷くらいでは済まなかっただろう。
仏間で息を引き取っていたのは、私だったに違いない。
いまもみんなのメールを読んでいる。
本当にありがとう。
これからも応援してほしい。
 


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