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5)想像力の働き


5-01 予想するということ

そもそも想像力とは、どういったものでしょうか?
おそらくそれは、予想から発達した能力ではないかと思います。
「予想」という言葉でもわかるように、そこには「時間」ということが関わってきます。「予め」という言葉は、時間の概念なしには発生しません。現在の先に未来がある、という時間の感覚があるから、「予想」ということが起こるのです。
 
ただ、この「予想」という言葉は、今ここで使おうとしている言葉としては正しくはありません。
例えばシマウマが、普段とは違った匂いを嗅いだような気がします。草を踏む微かな音を聞いたような気がします。あたりを見回しますが、危害を加えてきそうな猛獣の姿は見えません。しかし、危険が迫っているような気がしてなりません。
そして、数秒後にその不安が的中します。草叢からライオンが躍り出てきて、自分たちに襲い掛かってきたのです。
予めそのことを感じ取っていたシマウマは、瞬時に逃げ出すことができます。
 
このように、シマウマは、現在の情報(匂いや物音)から未来に起こることを導き出しています。そのことで、草食動物は肉食動物から逃れることができるのです。
これは、非常に感覚的なことで、「予想」という言葉よりも「予知」という言葉の方が近いかもしれません。

 

(2023.12/25)

5-02 想像するということ

この「未来に起こりそうなことを予め察知する」感覚的な能力の延長線上に、「予想」というものがあります。「未来に起こりそうなことを予め考える」という理性的な能力が「予想」です。
ただ、普段とは違った匂いや草を踏む微かな音だけでは、どんなことが未来に起こるのか(あるいは起こらないのか)が明確にはわかりません。数少ない情報では、十分な予想ができないのです。ただ漠然とした不安と緊張があるだけです。
 
このわずかな情報を「点」と考えると、「点」と「点」を繋いだ時に、初めて未来に起こることが具体的に予想できます。
この点と点をつなぐ作業こそが、想像力と呼べるものではないでしょうか。
想像力の働かない場合、草を踏む微かな音という「点」と普段とは違った匂いという「点」は、ただの「点」の集まりに過ぎません。ただ、「点」がいくつも集まっているので、その数によって危機感が高まっていきます。
 
しかし、「点」と「点」をつなぐ想像力が働くと、具体的なイメージを作り上げることができます。漠然とした危機感ではなく、それはライオンが近づいてきている証だと予想することができるようになります。
そして、そのイメージが記憶されると、次に同じような想像力が働いたとき、それがライオンの近づいてきている前兆だと、高い確率で認識できるようになります。

 

(2024.1/8)

5-03 野生の想像力

「予想」は、そもそも危険の予知から生まれてきています。
しかし、脳がある程度発達すると、危険を予知すること以外に、その器官を使用するようになります。それが、遊びの発生です。
 
生物が、常に危険と隣り合わせになっているのではなく、ある程度安心でき、食べ物を常に求めなくても良い状況になると、時間に余裕が生まれます。
生存に関係しない時間が、遊びを生み出したと言われています。
 
この時間を確保できるようになると、生命の危機に結びつきそうな点と点だけではなく、特に自分に危害を加えそうにない点と点を結びつけてみる、ということをやってみるようになります。
点と点を結びつけてみたら面白かった。そんな発見が、何かの拍子に生まれたのです。
それが、想像力が遊びと繋がった瞬間です。想像力が危険の回避のためのものだけではなく、快楽(楽しさ)を産むものになったのです。
 
例えば、夜空の星と星を結んだ時に、何かの動物に見えると思えた時の不思議と喜び。
そこにこそ、想像力による楽しさの原点があったのではないでしょうか。
 

(2024.1/22)

5-04 遠くにある危険

危険から生まれた能力。それが想像力だとすると、何かお化け屋敷に通じるところがあるような気がしてきます。
お化け屋敷では、身体が危険にさらされるような体験をします。しかし、実際に自分の身に危険が及ぶわけではありません。
そこには、必ず「安全である」という保証が存在しているのです。
 
かつて、絶対登って来られない猛獣を木の上から眺めながら、もし下に降りたらどんな目に遭ってしまうだろうかと想像することは、ワクワクするような楽しさのではないでしょうか。
安全である、という保証があれば、危険は自分の身に及ばないものとなり、楽しさに変わっていくのです。遠くから危険なものを眺め、そこに自分がいることを想像するのは楽しいことです。
 
しかし、お化け屋敷の場合は、この例とは少し異なります。
お化け屋敷では、遠くから危険を眺めるわけではありません。木の上から実際に降りて、危険に直面し、それでも楽しいのがお化け屋敷です。
だとしたら、「安全である」という保証はどこにあるのでしょうか?
 

(2024.2/5)

5-05 お化け屋敷における安全

お化け屋敷の場合、「安全である」という保証は、そこにいる猛獣が本当の猛獣ではない、という点にあります。
そこにいるのは、猛獣のふりをしている自分の仲間です。猛獣の演技をしている仲間を見ていながら、想像力を働かせることで、その仲間を猛獣だと思っているだけです。
猛獣に追われても捕まっても、それは本物の猛獣ではないので、食べられてしまうわけではありません。ここに「安全である」という保証があります。
 
では、食べられるわけではないとわかっていて、果たして真剣に逃げるものでしょうか?
もちろん、それは本物の猛獣ではないのだから、真剣に逃げる必要はない、と考える人もいるでしょう。でも、多くの人は真剣に逃げようとします。
なぜ真剣に逃げるのか、というと、そこに楽しさがあると知っているからです。
 
演じる者を見て猛獣だと思う想像力と、それによって突き動かされる身体的な反応(逃げるという反応)、その身体の反応によって生み出される楽しいという情動。さらにそれを繰り返すことによって自然と生み出される情動のうねり。
つまり、想像力が身体に作用し、身体の反応から情動が生まれていくのです。
ここで重要なのは、身体の動きから情動が沸き起こる、という点です。
 
情動は、身体とは切り離された心の中の働きのように考えられがちです。
けれど、情動は身体と密接に結びついているのではないでしょうか。
 

(2024.2/20)

  
続 「6)お化け屋敷の中の身体」
 
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