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1)機械の演出するお化け屋敷


1-01 機械が演出するお化け屋敷

私が初めてお化け屋敷に携わったのは、1992年のことです。
当時のお化け屋敷には、お化け役を行うキャストはほとんどいませんでした。基本的に機械仕掛けの施設で、センターでお客さまの動きを感知してお化けの人形が現れたり動いたりするというものです。
それはそれで面白いのですが、その面白さに限界があります。
  
というのも、そこには一定の法則があるからです。そもそも、機械というものは同じ法則を繰り返すようにできているものです。機械だけではなく、自然界も大きな法則の上に成り立っています。
しかし、幽霊というものはこの法則に逆らっています。
密閉された部屋なのにどこからともなく現れたり、かと思ったら不意に消えたり、宙に浮いたり、肩の上に乗って歩いたり、いずれも自然界ではありえないことです。大体、自然界では「どこからともなく」ということはあり得ません。現れるのであれば、それが「どこか」は確定できます。
このように、自然界の法則を乗り越えてしまうものが、幽霊です。
  
「幽霊がなぜ怖いのか」という疑問は、時々話題になることがあります。それに対する答えの一つは、この「法則性がないから」ということにあるのではないでしょうか。
法則性を乱すものは、脅威の存在です。社会のルールを乱すものは、社会を崩壊させかねません。
自然界のルールを乱すものは、私たちの存在自体を脅かさねかねないからです。幽霊は、私たちの存在に対する不安を刺激してくるものなのかもしれません。
 

(2023.04/04)

1-02 マジックの魅力

自然界の法則を乗り越えているように見せるエンターテインメントのひとつが、手品やマジックです。何にも吊られていないのに人体が浮いたり、切断されたりした人体が再び繋がって元に戻ったりすることは、自然界の法則に逆らっています。
観客は、そこには何かの仕掛け(ネタ)があるということはわかっています。けれど、そのネタはわかりません。
 
必ず法則はあるがその法則がわからない、という宙ぶらりんの状態を楽しむのがマジックです。もしすべてのネタがわかってしまったら、少しも楽しくありません。
マジックを見てワクワクするのは、自然界の法則に逆らった、何か不思議なことが目の前で起こっているかのような錯覚を覚えるからです。
 
この錯覚は、自分たちの存在を揺らがせる不安を孕んでいます。けれど、必ずネタ(法則)があるとわかっている以上、理性的には安心しています。
法則があることはわかっているのに具体的な法則がわからないというもやもやが、微妙に私たちの存在を揺らがせ、宙ぶらりんの状態にさせます。
これがマジックの魅力です。
 

(2023.04/17)

1-03 機械が背負う宿命

さて、お化け屋敷に話を戻しましょう。
機械には歴然とした法則があります。ということは、法則性を乗り越える幽霊とは正反対のものだと言うことができます。機械と幽霊は、決定的に相反するものなのです。
 
それでも機械によってお客さまに幽霊だと感じさせるためには、自然界の法則に逆らっているかのように見せる動きが必要です。けれど、マジックのようにネタがわからない、ということはわけにはいきません。お客さまは、機械が動いているということは既に知っています。
そこで必要になってくるのが、「意外性」という要素です。
不意に現れたり、思ったより速かったり、想像よりも大きかったり、という意外性によって、少しの間、法則を乗り越えるのです。
 
ここで問題になってくるのは、「何が意外なのか?」ということです。
エンターテインメントは、様々な方法で意外性を作り出してきます。一度体験したものは、次の体験ではそれほど意外なものではなくなります。つまり、意外性とは色褪せてしまうという側面が(もちろん、すべてではありませんが)潜んでいます。
 
私が携わるようになった当時のお化け屋敷は、作られてから長い年月を経ていました。
機械の動きが持つべきだった意外性は、ある程度色褪せて、作られた当時、お客さまに与えていたワクワクするような存在への不安は多かれ少なかれ薄れていました。
けれど、それはそのお化け屋敷が悪いのではなく、機械が幽霊を演出しようとするときにつきまとってくる、一種の宿命だと言えると思います。
 

(2023.05/01)

  

続 「2)キャストのいるお化け屋敷」

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