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三夜子の日記 2009.10


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お彼岸の日記

DATE: 10/01/2009 23:57:04
 
あの人から連絡がありません。
 
 

あの人から何の連絡もありません。

 
 
 

形代には、
 
あの女の髪の毛を使いました。
 
午前二時過ぎに
 
あのお面を顔につけ
 
日本刀を脇に置いて
 
蝋燭三本に火を灯し
 
五徳に差してから
 
それを頭にかぶって
 
暗い部屋の中で
 
正座しながら待ちました。
 
時間になったので
 
私はあの女の髪の毛を
 
床にたたきつけて、
 
日本刀で突き刺しました。
 
何回も
 
何回も
 
何回も
 
何回も
 
何回も
 
 

 

誰かがまた書き込んでいます。
 
どこかで読んだことのある文章だと思い、この日記を読み返してみたら、お彼岸の日にほとんど同じ事が書かれていました。
 
書き込んだのが祖母だとすれば、祖母がお彼岸の日の日記を書き写したのでしょうか。
 
それとも、
 
祖母も以前、同じ事をしたと言うことなのでしょうか。
 
 

ああ、この頭痛はなんとかならないものかしら。
 
何度もあのお面を手にとってしまいそうになるのですが、何故かそれはいけないという気持ちが強く働きます。
 
 

あの人から連絡がほしい。
 
声が聞きたい。
 
忘れられるということは死ぬことと一緒です。
 
 

今夜は、街の中に何の音も聞こえません。
 
まるで、世界に私ひとりだけのような夜中です。
 
→次の夜
 


 

割られたお面

DATE: 10/02/2009 22:31:27
 
頭痛のため眠ることができません。
 
頭痛薬を飲んで浅い眠りについても、すぐに激しい痛みに揺り起こされてしまいます。
 
薬と睡眠不足で、朦朧としています。
 
濃霧の中を彷徨うような日々はもううんざりです。
 
今日はとうとう我慢も限界です。
 
あのお面をつけよう。
 
そう決めてお面のある部屋に行きました。
 
いつも置いてあるところに、お面はありませんでした。
 
けれど、そんなことは今まで何度もあったことです。祖母がまた隠したに違いありません。
 
私は落ち着いて探し始めました。頭痛がひどく、すぐにでもつけたいところですが、焦ったところでみつかるわけもありません。むしろ落ち着いて丹念に探した方が早くみつけることができます。
 
今日もそれは同じ事でした。十分ほど探したところで、お面はみつかりました。
 
けれど、それを手に取ったとき、私は息を呑みました。
 
お面は縦真っ二つに割られていたのです。
 
 

祖母の仕業です。
 
私にお面をつけさせないために、祖母がやったのです。
 
それを見た瞬間、私の中に理由のわからない悲しみの感情が大きな波となって沸き上がり、私は大声を挙げて泣き始めました。
 
その感情はいつまでも止まらず、私は部屋の真ん中にへたりこんだまま、いつまでもいつまでも、号泣し続けました。
 
→次の夜
 


 

私宛の書き込み

DATE: 10/03/2009 23:36:43
 
三夜子さん、
 
思い出して。
 
なぜ、私とあなたが
 
同じ名前なのか。
 
 

 

浅い眠りから覚めたら、こんな書き込みがありました。
 
私だけに向けられた書き込みは、これが初めてです
 
これを書き込んでいる祖母だと思われる人物は、私に何かと思い出させようとしています。
 
ああ、でも、頭が割れるようにいたくてたまりません。
 
 

 

思い出して。
 
なぜ、同じ「鉄輪」を
 
観たのか。
 
 

 

頭痛薬を飲んで朦朧としている間に、また書き込みがありました。
 
読んだら、一層頭が痛くなってきました。
 
 

 

思い出して。
 
なぜ、同じように
 
呪いの儀式をしたのか。

 
 
 

また頭痛薬を飲んで夕方に見てみると、改めて書き込みがありました。
 
私も思い出したいと思っているのです。ただ、頭痛がそれを妨げるのです。
 
ただ、この頃何となく思うことがあります。
 
私は自分でも覚えていない、ものすごく大変なことをしてしまったのではないでしょうか。
 
それは何十年も前のことのような気もしますし、つい最近のことのような気もします。
 
でも、そこから先は足を踏み入れてはならない記憶の領域です。
 
 

私の知らない私がいる……。
 
真っ二つに割られたお面は、まるで私自身のようです。
 
割られたお面を見てあんなに深い悲しみを感じたのは、それが二つに引き裂かれた私の心そのものだったからです。
 
→次の夜
 


 

安倍晴明

DATE: 10/04/2009 23:17:25
 
この頃、ふと祖父が恋しくてたまらないことがあります。
 
亡くなったときも、その後遺品整理をしているときも、私は淡々と事を進めていたと思います。
 
なぜ、急に恋しさを感じるようになってしまったのでしょうか。それは、あの人から連絡のない淋しさの穴埋めを、別のところに求めているためなのかもしれません。
 
今日は日曜日の上に、久しぶりの青空です。家の前を親子連れや友だち同士がはしゃいだ声で通り過ぎるのが聞こえてきます。それを聞いていると、晴れやかな気分になるどころか、ますます沈鬱な思いに駆られます。
 
頭痛もひどくて、とても外に出る気になれません。
 
祖父の遺品整理をしたら少しは気持ちを紛らわすことができるかもしれないと思い、久しぶりに段ボール箱の山に取りかかりました。
 
私が興味を抱いたのは、祖父が亡くなる間際の資料です。とはいえ、その頃には随分好奇心も薄れたのか、資料の量もだいぶ減ってはきていました。以前は二ヶ月くらいでいっぱいになっていた箱も、晩年は二年かけてもいっぱいにはならないようでした。
 
最後の箱の中には、いろいろな資料が入っていましたが、どれもそんなに収集はしていなかったようです。箱の半分くらいまで来たときに、私は激しい吐き気を感じました。
 
そこにあったのは、安倍晴明の資料でした。資料は、めくってもめくっても安倍晴明に関するものばかりで、とうとう最後までその別の資料は出てきませんでした。祖父が最後に強く興味を持ったのは、安倍晴明だったのです。
 
こみ上げてくる吐き気を押さえながら資料の山を見るうちに、私は踏み入れてはならない記憶の領域に入ったような気分になりました。安倍晴明は、私の思い出せない過去に重要な意味を持っているようです。
 
けれど、それ以上は強い頭痛と激しい吐き気に遮られて思い出すことはできませんでした。
 
 

夜になって割られたお面を見てみると、額の辺りに赤みが差しているような気がしました。灯りのせいかもしれません。
 
しばらく見ていると、表情が厳しくなって怒っているように見えてきました。そして、何故だかその理由が、今日見た安倍晴明のせいに思えてくるのです。
 
何故そんな風に思えるのか、不思議な気分です。
 
→次の夜
 


 

夢枕

DATE: 10/05/2009 23:06:37
 
浅い眠りの中で、ふと人の気配を感じて目を開けると、枕元に祖母が立っていました。
 
雨の中を歩いてきたのか、髪の毛が濡れていて滴が私の顔に落ちてきます。
 
祖母は、何か言いたげな眼差しで、私の顔をのぞき込んだまま黙って立っていました。眉間に深い皺を寄せ、妙に上気したような赤い顔をしていました。
 
朝になって、あれは本当のことだったのか夢だったのか、よくわからなくなってしまいました。あんなに濡れていたのなら、枕元の畳が湿っていてもいいのに、まったくその痕跡がないからです。やはり夢だったのでしょうか。
 
 

昨日に続けて祖父の遺品を片付けました。
 
なぜ、祖父は最期の時に安倍晴明に興味を持ったのでしょう。
 
考えてみれば、能舞台「鉄輪」で、嫉妬に狂って鬼と化した橋姫の呪詛を転じ換えたのは安倍晴明でした。
 
 

また、頭痛がひどくなってきました。
 
半分のお面は割られた衝撃のせいなのでしょうか。表面に幾筋もの細かいひびが入ってきています。
 
→次の夜
 


 

最後の封書

DATE: 10/06/2009 23:05:20
 
祖父が最後に熱心に集めていた資料は、安倍晴明のものでした。
 
私はその資料が非常に大切なものに思えると同時に、非常に不愉快なものにも思えて仕方ありません。
 
なぜ、これほど相反する気持ちになるのでしょうか?
 
小雨の降る庭に段ボール箱を持ち出して火を点けて燃やしてやろうとマッチを探しているうちに、大切なものを雨に晒してしまっていることに慌ててしまう始末です。
 
自分でも、この気持ちの対処に仕方がわかりません。
 
目につくところに置いてあると、落ち着かない心持ちになってしまうので、一旦取り出した資料を、もう一度箱に入れてしまってしまうことにしました。
 
空にした箱に資料を入れようとしたときに、箱の底の段ボールの折れ目の間に一通の封書が挟まっていることに気づきました。
 
封書は糊づけされたうえに、魔除けのつもりでしょうか「ドーマンセーマン」の印が書かれていました。
 
また、安倍晴明に関する資料にちがいありません。
 
けれど、それを手に取ろうとした瞬間、体じゅうが震え始めました。
 
同時に、その封書を開けたいという強い衝動に揺さぶられました。
 
封書を持つ手が激しく震えて、その封をどうしても切ることができません。
 
→次の夜
 


 

伊勢湾台風

DATE: 10/07/2009 22:14:53
 
昨夜みつけた封書を何度も開けようとするのですが、直前になって急に恐ろしくなってどうしても開けることができません。
 
そんなことを繰り返すうちに、やけに肌寒いことに気づきました。
 
急に秋が深まったようだと思っていたら、台風が近づいてきているという話です。しかも、ここ十年で最大級の台風だということです。
 
テレビでは、伊勢湾台風の映像をたびたび流しながら、あの時と似ているからと警戒を呼びかけています。
 
その映像を見ながら、なぜかものすごく懐かしい感情に駆られてしまいました。今から五十年前ですから生まれてもいないのに、祖父と一緒に玄関に土嚢を積んだような気がしてしまうのです。けれど、それは錯覚に違いありません。
 
うちの前は幅二メートル弱の川が流れています。そのため、大雨が近づくときには土嚢を積みます。私も祖父と何回か土嚢を積んでいます。その記憶が、伊勢湾台風の記憶のように勘違いしているだけでしょう。
 
そう思って再び伊勢湾台風の映像に目を移すと、やはり懐かしさがこみ上げてきます。まったく不思議な気分です。
 
テレビの口調とは裏腹に、外を見ると雨がしとしと降るばかりで、伊勢湾台風のような脅威がこれから襲ってくるとは一向に信じられません。
 
むしろ、頭痛が弱まって、久しぶりに気持ちが軽くなっているくらいです。
 
 

この機会に、数日前に思いついたことを実行に移すことにしました。
 
雨は降っていますが、この機会を逃すと、次にいつ頭痛が治まるかわかりません。それに雨足もさして強くありません。
 
私は身支度を整え、電車を乗り継いで目的地に向かいました。
 
計画は思った以上にたやすいものでした。悲劇の前では、多少の無理や理不尽なことも、容易に打ち破ることができます。少し難しそうな時にも、私が目を潤ませれば、誰もが協力してくれます。
 
本当に人間は愚かしいものです。特に、都会に住む人間は通常冷静に振る舞っているだけに、いざ悲運に暮れる人を前にするとうろたえて、必要以上に優しく振る舞ってしまいます。何と単純なものでしょう。
 
帰りは荷物が多かったのでタクシーを頼みました。店の人が何人も出てきて、箱を次々とタクシーのトランクに入れてくれました。その上、タクシーの運転手に、家に着いたら箱を運び入れるように頼んでもくれました。
 
私はただ、悲しそうに微笑んでいただけです。
 
 

夜になって、少し雨足が強くなってきました。
 
→次の夜
 


 

台風一過

DATE: 10/08/2009 23:29:52
 
明け方に雨は豪雨になり、その音に目を覚ましたらもういけません。瓦屋根に叩きつける雨音が恐ろしくて、もう眠ることもできません。
 
伊勢湾台風の日が思い出されるような気がしましたが、昨夜繰り返し見せられたテレビの影響でしょう。
 
不安でたまらなくなって、布団を抜け出して玄関まで見に行きましたが、引き戸を開ける勇気がありません。家の前を流れる川の音が、ガラス戸越しに轟音となって聞こえてきます。
 
上流から激しい水流に流されてきたものが、橋桁にぶつかるのでしょうか。時折、重いものがぶつかるような低い音が聞こえてきます。その音を聞くたびに、背筋が凍る思いです。
 
三和土に水が浸ってきていないことだけを確認して、また寝室に戻りましたが、その後はまんじりともできませんでした。
 
雨は午前四時くらいを頂点にして次第に治まってきましたが、明るくなってきたら、今度は強い風がやってきました。
 
その恐ろしいこと。屋根が吹き飛ばされるのではないかと気が気ではありません。
 
お昼が近づくにつれて、風はますます激しさを増してきました。
 
庭の木がしなって、ギシギシと音を立てています。
 
そう思っていたら、いきなり稲妻のような音がして、思わず身をすくめました。
 
縁側に出てみると、庭木が一本折れているではありませんか。
 
女の霊が宿っていて、以前夜中に家に迫ってきた、あの木でした。
 
あの木が折れた瞬間、急に私の体から何かが抜け落ちて、肩が軽くなったような気がしました。
 
あの人に対する嫉妬や怨みの感情が、消えていくような気がしました。
 
同時に、頭痛や吐き気が治まってきました。
 
空は抜けるような青空です。
 
午後になって風も治まると、まるで夏が戻ってきたような天気になりました。
 
あの人から連絡がないのは当たり前のことです。
 
愛する婚約者が、結婚直前に亡くなったのですから、動転してそれどころではないのでしょう。
 
むしろ、私の方から慰めに行くべきです。
 
何日もお風呂に入っていないことに気がついて慌ててお風呂を沸かし、丹念に体を洗いました。髪についた蝋も、できる限り爪でこそぎ落としました。
 
お風呂から上がり、久しぶりにお化粧をして、しまい忘れていた夏服の上に、軽いカーディガンを羽織りました。
 
お腹が空いていたことに気がついて、慌てておそばを食べました。
 
ああ、早くしないと夕方になってしまいます。
 
玄関でなかなか靴が決められず、何度も履き替えてみたりしました。そんなことをしていながら、気持ちはもう駆け出さんばかりです。
 
夏が戻ってきたようです。
 
赤いリボンの可愛い黒い靴に決めて、バッグを腕に抱え、立ち上がって玄関を開けました。
 
足を踏み出そうとして、愕然としました。
 
目の前に橋がありません。
 
 

台風で流されていたのです。
 
→次の夜
 


 

いい気味

DATE: 10/09/2009 22:33:14
 
私はいつでもこうです。
 
うまく行きそうになると、必ず邪魔が入ります。
 
嫌になって、嫌になって、悲しくなってしまいます。
 
昨日あの人に会うために着た服を脱ぐこともせず、昨日あの人に会うためにした化粧を落とすこともせず、ずっと部屋の隅でしゃがんでいました。
 
もっとも、家から出ることもままなりません。
 
橋がなくなってしまったのですから。
 
いい気味です。
 
私が悪いことをしたのですから、いい気味です。
 
→次の夜
 


 

封筒の中身

DATE: 10/10/2009 23:33:40
 
祖父の最後の箱の一番下に入っていた封筒を、ようやく開けることができました。
 
台風であの庭木が折れてから、体が軽くなり、封筒を開けようとしたときに私を妨げていたものが、どこかに消えてしまったような気がします。
 
今日は何の抵抗もなく、封をしてあるドーマンセーマンの印を切ることができました。
 
一体どんなことが書かれているのでしょう?
 
期待と不安が入り交じる中で広げた便箋には、短い文章が書かれていました。
 
そこに書かれていた内容は衝撃的なものでした。
 
でも、
 
今夜はもう書けません。
 
→次の夜
 


 

能面師のこと

DATE: 10/11/2009 23:15:46
 
誰にも知られないように、納戸に籠もって書いています。
 
橋が流されてしまい、誰がこの家に入ってくるわけでもありません。
 
でも、誰かがこの家にいるのです。
 
その誰かに知られないように、この日記を書いています。
 
 

私は、この夏に大変な過ちを犯してしまいました。
 
祖父が最後に残した封書には、このようなことが書かれていました。
 
 

橋姫から始まった丑の刻参りが、少し前まで行われていた、ということは俄に信じがたい。けれど、それは事実であるらしい。
 
一本の木があった。
 
夜中になると、たまに釘が打ち込まれる音が聞こえたという。
 
その木に近づいてよく見ると、夥しい数の釘が残っていたという話だ。藁人形はやがて落ちても、釘はその幹に残ったままだからである。
 
ある時嵐があって、その木が倒れた。
 
倒れた木は売りに出され、能面師の手元にたどり着いた。
 
能面師はその木を使って、面を打とうとするが、仕上げ間際にノミが狂ったり、怪我をしたりしてどうしても完成することができない。
 
その末に、一枚の泥眼の面だけを仕上げることができたが、その時には能面師は気が触れていたということである。
 
その泥眼の面が、代々この家に伝わっている。
 
処分しようとしても処分することができず、かえって災いがもたらされることがある。
 
そのため、無理矢理処分しようとしてはならない。かといって、興味を持って手に取ったりしてはならない。
 
それはそこに置いたまま、何もせずに放っておけば、安泰な一生を終えることができるだろう。
 
 

祖父は、このことを半分は迷信と思いつつ、記録にとどめていたのかもしれません。ただ、もう半分は本当のことと思っていた節もあります。
 
面に触れてはならない、ということは家訓でしたし、この封書は魔除けの印が記されていたからです。
 
私は、どうやら大変な過ちを犯してしまったようです。
 
すでに私は、面に蝕まれてきています。
 
そのことが、私にはわかります。
 
→次の夜
 


 

違う面

DATE: 10/12/2009 23:36:44
 
昨日、あんなに恐ろしい事実を知ったというのに、あのお面を見てみたくてたまりません。
 
私があの面に魅せられてしまっていることは、自分でもよくわかります。
 
わかっていながら、見てみたい衝動を抑えることができないのです。
 
何日かぶりに見たお面は、明らかに以前のお面とは違っていました。
 
顔の両側に細かいひびが入り、顔全体が赤みを帯び、険しい印象になっています。けれど、お面の表情が変わるなどということがあるでしょうか。
 
二つに割れたために、印象が変わってしまったにちがいありません。
 
もう片方と合わせてみれば、きっとわかるはずです。
 
そう思ったものの、お面を手に取るのには少々勇気が要りました。昨日、恐ろしい話を読んだばかりです。でも、どうしてもお面の表情を見たくて、思い切って片方ずつを手に取ってゆっくりと合わせてみました。
 
面の割れ目はきれいに揃い、細い絹糸のような線を縦に一本残したきり、一枚の面として目の前に蘇りました。
 
が、それは明らかに以前の面ではありませんでした。表情が違うだけではありません。全く違う面なのです。
 
すでに夕闇が覆った部屋の中で、電球の灯りに近づけてよく見ても、それが泥眼の面でないことはわかりました。
 
細かいひびと見えたのは、濡れた髪の毛が顔に幾筋も張り付いている様子です。眉間の皺は深く刻まれ、明らかに赤い顔色をしています。
 
この面のことを私は知っています。
 
これは、橋姫です。
 
そう思った瞬間、頭の上の電球がバチンッと音を立てて切れました。
 
 

気がついたら、真っ暗な部屋の中で半分に割れた橋姫の面をつけたまま、私はひどく愉快な気分になって笑っていました。
 
→次の夜
 


 

来てくれた

DATE: 10/13/2009 23:04:55
 
昨日は、あれから電球が5個も切れました。
 
しかも、私が部屋に入っていくたびに切れるのです。
 
まるで、私に明るい部屋は似合わないとでも言うかのようです。
 
これ以上、電球が切れるといけないので、蝋燭に火を点けて夜を過ごしました。
 
橋が流されてしまい、外に出る方法も閉ざされた上に、灯りもつかなくなってしまいました。蝋燭の炎を見つめていると、いよいよ独りきりだという孤独感が募ってきました。
 
そんな風に夜を過ごし、遅い朝を迎えました。
 
陰鬱な朝でした。
 
 

でも、
 
午後になって状況は一気に変わりました。
 
玄関を叩く人がいるので、しばらくは無視をしていました。
 
橋のない川を渡って玄関を乱暴に叩くような人は、きっと恐ろしいことを考えている人に違いないからです。
 
私は気配を消していても、その音は一向に止みません。それどころか、ますます強くなって、玄関の戸を壊しそうな勢いです。
 
私は、いっそう恐ろしくなって、奥の部屋に引き込もうとしました。
 
すると、私の名前を呼ぶ声が聞こえます。
 
玄関の戸を叩きながら、私の名前を大声で呼んでいるのです。
 
しかも、その声に聞き覚えがありました。
 
私は半信半疑で玄関に近づいて、息を殺してその声を聞きました。
 
間違いありません。
 
私は思いきって引き戸を開けました。
 
そこに、あの人が立っていました。
 
あの人が、来てくれたのです。
 
→次の夜
 


 

幸福な食卓

DATE: 10/14/2009 23:15:17
 
心配して来てくれたあの人は、それはもう鮮やかな方法で私の窮地を救ってくれました。
 
まず、どこからか調達してきた材木と板で、家の前の川に簡単な橋を架けてくれました。
 
始めたのが遅かったので、その作業は夜までかかってしまいました。
 
その姿を見ていたら、以前頼りなく感じていたあの人の姿が、とても頼もしいものに思えてきました。
 
そこまで作業を終えると、あの人は明日また来るからと言って帰っていきました。
 
私は出来上がったばかりの橋の上に立ち、何だか、まぶしいものを見るような思いで、その後ろ姿を見送りました。
 
 

朝、空が白んできたら目が覚めてしまいました。布団の中で昨日の事を考えていたら、もう堪らなくなって、寝間着のまま橋を見に行きました。
 
昨日完成した時は、もう暗くなっていてよく見えなかったからです。
 
あの人は大工が本職ではないのですから、見栄えはいいとは言えません。それほど頑丈でもないでしょう。でも、大工さんに来てもらうまでの間なら、十分に使う事の出来る立派な橋です。
 
何よりも、あの人が私のために汗を流して作ってくれたのです。
 
私は嬉しくて嬉しくて、橋の上に座り込んでその表面をさすっていました。
 
それからは、大掃除です。
 
今日は、散らかった部屋の中を見せるわけにはいきません。
 
 

あの人は、今日も病院を早めに切り上げて、いろいろなものを買ってやってきてくれました。
 
台風の前から、私は買い物にも行っていなかったので、もう冷蔵庫の中はほとんど何も残っていませんでした。
 
あの人は、昨日、いつの間にそんなことに気づいたのでしょう。
 
新鮮な野菜やお肉、卵や牛乳、果物やデザートなどを、両手に抱えきれないほど運んできてくれました。
 
あの人が台所に立とうとしたので、それだけは何とか止めて、私が夕飯を作りました。
 
鰺の南蛮漬けにシーザーサラダ、油揚げと大根の味噌汁に、にんじんと玉ねぎのかき揚げ、お肉はそのまま焼いてポークソテーにしました。
 
私が料理をしている間に、あの人は切れた電球を買ってきて付け替えてくれました。
 
久しぶりに、テーブルに料理が並び、それが明るい灯りに照らされています。
 
そして何よりも、あの人と二人きりの食事です。
 
こんなことは今まで一度もありませんでした。
 
何という幸福でしょうか。
 
豆ご飯を装ってあの人の前に差し出すと、何だか急に恥ずかしくなって、あの人が一生懸命話しかけてくれているのに上の空でした。
 
でも、私はとても嬉しかったのです。
 
あの人は、おいしい、おいしいと言って、二杯もおかわりしました。
 
夕飯の最中に急に雷が鳴って、激しい雨が降ってきました。このまま降り続ければいいのに、と思いながら、あの人の横顔を見ていました。
 
夕飯が終わる頃、雨は小雨になったので、あの人は急いで帰っていきました。
 
また、明日来ると言って。

→次の夜
 


 

幸福なデザート

DATE: 10/15/2009 23:17:28
 
今日も、病院の帰りにあの人は寄ってくれました。
 
昨日と同じように、二人で夕飯を食べ、今日はその後にあの人がお勧めのデザートもいただきました。
 
今まで食べたどんなケーキよりもおいしくて、自然に顔がほころんでしまいました。
 
昨日より、帰る時間が遅くなっています。私は、時計を盗み見ながら、それが嬉しくてなりません。
 
あおいさんが亡くなって、きっと帰るのが淋しいのでしょう。
 
このまま、家にいてもいいのに、と言おうとしながら、その言葉を呑み込みました。
 
そんな風になるときは、自然になっていくのでしょう。
 
そんなことを考えていると思われるのが恥ずかしくて、紅茶をもう一杯煎れてきました。
 
その紅茶を飲んでから、あの人は帰っていきました。
 
また明日、と言って。

→次の夜
 


 

沈黙のデザート

DATE: 10/16/2009 22:58:15
 
今日もあの人は来てくれました。
 
でも、夕飯の時に少し話に詰まりました。
 
私がもっと面白い事をいろいろ知っていればいいのに、気の利いた事も話せないつまらない女なものだから、少し気まずい空気が流れてしまいました。
 
あの人が、話の穂を継ぐつもりで、祖母の事を聞いてきました。
 
そんな病院で話すようなことは、この夕飯の席で話したくはありません。
 
私は、この頃は来ていません、と手短に答えました。思いも掛けず強い口調になったことに、自分でも驚きました。
 
その後は、もう話す事も思い浮かばず、今日は私が用意したとっておきのケーキも黙々と食べてしまいました。
 
帰る時間は昨日と同じでした。淋しい事に変わりないのでしょう。
 
けれど、また明日、とは言ってくれませんでした。

→次の夜
 


 

憂鬱な食卓

DATE: 10/17/2009 23:26:00
 
あの人は今日も来てくれるのかしら、と朝から落ち着かない気分でした。
 
昨日、帰りがけに「また明日」と言ってくれなかったからです。
 
昨日は話題に詰まり、気まずい時間が流れてしまいました。またあんな風になるのではないかと思ったら、誰でも憂鬱になってしまうものです。
 
それでも、来るかもしれないと思うと、夕方になる前に夕飯の買い物には行かなくてはなりません。
 
買い物から帰って一時間もしたら、あの人がやってきました。
 
不安だっただけに、自分でも不思議なくらいはしゃいでしまいました。
 
今日は栗ご飯に金目鯛の煮付け、それに茶碗蒸しを添えました。
 
けれど、話題は祖母のことばかりです。なぜ、それほど祖母のことを聞きたがるのかわかりません。
 
その話題になるたびに、私が明らかに不愉快になるのに、それでも話題を変えようとしません。
 
私は金目鯛の骨と骨の間に残った肉を箸の先で摘み取りながら、黙って話が逸れるのを待つばかりでした。
 
この話になるたびに、私の中で苛立ちが募ってきます。しばらくすると、それが押さえきれないほどに大きくなって、口を開けば一気に爆発しそうな気がしてしまいます。ようやく治まりかけた頭痛もぶり返してきます。
 
それなのに、どうしてこの人は無頓着に話を進めるのだろう。その無神経さにまた腹が立ってきます。
 
夕方姿を現したときの喜びは、いつのまにか消え失せていました。
 
今日はあの人がデザートを買ってきてくれました。箱を開けてみると、モンブランが二つ入っていました。
 
夕方来たときに開けていたら「気が合う」というように受け止めたのでしょうが、憂鬱な夕飯の後に開けてしまうと、「気が利かない」と感じてしまいます。
 
ついに私は口を開いてしまいました。
 
何をどんな風に言ったのかは、興奮していてよく覚えていません。
 
あの人は黙って私の言葉を聞いた後、明日また、と言って帰って行きました。
 
帰ってしまった後、ひどく重い後悔が訪れました。
 
夜が更けていくと、後悔は一層重く私を責め立てます。それはやがて孤独感になっていきました。
 
久しぶりにあのお面を手に取りました。
 
そのお面は私を慰めてくれると同時に、よくないことを私に語りかけてきます。
 
私は、そのことをよくわかっています。でも、今夜はしばらく手に取っていたいのです。

→次の夜
 


 

井戸

DATE: 10/18/2009 23:39:47
 
ゆっくり眠ったら、やっぱりあの人が恋しくてたまりません。
 
昨日、気まずい関係になってしまったから、今日はそのお詫びをしなくてはなりません。
 
それに、こんなにも私を気に掛けてくれることへのお礼もしなくてはなりません。
 
そこで、以前から計画していたプレゼントをあの人に披露してあげることにしました。
 
無理矢理着付けの人に連絡して、午後に来てもらうことにしました。
 
お昼までに買い物をして、夕飯の準備も整えました。
 
奮発していいお肉を買って、今日はすき焼きです。これなら準備も時間がかかりません。デザートは、今日は私の順番です。二駅電車に乗って評判のケーキ屋さんで洋なしのムースを買いました。
 
下ごしらえを終わらせた頃に着付けの人がやってきました。
 
それからは、もう大変です。着付けが終えるまで、二時間もかかってしまいました。
 
でも、夕方あの人が来る頃には、驚くような姿になっています。
 
 

五時近くなって、いつものようにあの人が橋を渡る音が聞こえました。
 
私はわざと奥の部屋の方で待ちました。
 
あの人が玄関を開けて声をかけてきたので、上がってくるようにと返事をしました。
 
あの人が部屋にやってきます。
 
どんなに喜んでくれることでしょう。
 
私は胸がはち切れんばかりにどきどきしながら待ちました。
 
あの人が部屋の襖を開けました。
 
そのまま立ち尽くしているのがわかります。
 
驚いたに違いありません。だって、私は白無垢を着て待っていたのですから。
 
その白無垢には覚えがあるはずです。
 
結婚式であおいさんが着る予定だった白無垢を、わざわざ借りてきたのですから。
 
白無垢姿を見せてあげることで、きっとあの人は喜んでくれるにちがいありません。
 
あの人はきっと幸せそうに笑っていてくれる…。
 
私はゆっくりと顔を上げました。
 
けれど、あの人は笑っていませんでした。逆に、青い顔をして唇を震わせていました。
 
そして次の瞬間、あの人は大きな声を挙げました。
 
あんなに大きな声は聞いたことがありませんでした。
 
私は驚いて、怖くなりました。
 
怯える私のおかまいなく、あの人はますます大きな声で私をなじりました。
 
何を言っているのかわかりません。でも、あおいさんの白無垢を着たことが気にくわなかったことだけはわかります。
 
なぜなのでしょう? 嬉しいことはあっても、怒る理由がわかりません。
 
私は頭の中が真っ白になって、ただ恐怖だけが募ってきました。
 
やがて、あの人が私に近づくと、白無垢に手を掛けました。その勢いで、私は転んでしまいました。
 
白無垢は重たくてなかなか立ち上がることができません。あの人は、手を貸そうともせずに、さらに白無垢を脱がそうとします。
 
振り返ると、今まで見たこともないようなすさまじい形相をして、私を睨んでいます。
 
私はもう恐ろしくて恐ろしくて、ただ這って逃げるばかりでした。
 
ひたすら謝り続けて、部屋を這い回りました。
 
あの人の興奮が治まってくれるまで。
 
 

ようやくあの人が少し落ち着いたので、私はよく冷えた梅ジュースをコップに入れて出しました。
 
あの人は興奮して喉が渇いていたらしく、一気に梅ジュースを飲み干しました。私は、飲んでいるときのあの人の喉の動きをじっと見ていました。
 
私の恐怖心は次第に治まってきました。代わりに、なぜこのような理不尽な目に遭わなくてはならないのか、という強い怒りが沸いてきました。
 
 

私はしばらくあの人から離れて、奥の部屋に引きこもりました。
 
二つに割られたお面を片方手に取り、それから五徳も探しました。
 
角隠しを外して五徳をかぶり、それを隠すように角隠しをかぶりました。
 
そのまま、しばらく待ちました。
 
何だか、こんなことは以前経験したことがあるような錯覚に陥りました。
 
 

しばらく待ってから、私は橋姫のお面をつけて、あの人のいる部屋に戻りました。
 
すでに、あの人は苦しみ始めていました。
 
ずっと前から、家に飾っていた曼珠沙華の水は、花の毒素が溜まっていました。その水で割った梅ジュースをあんなに勢いよく、しかも二杯も飲んだのです。曼珠沙華の毒が十分に体に行き渡っているはずです。

 
 
その後は、造作もないことでした。
 
日本刀はよく手入れをされていて、あの人もそれほど苦しまなかったのではないかと思います。女の力では、致命傷にならない傷ばかりが増えて、本人が苦しむばかりです。けれど、手入れがよかったせいで、それほど時間もかかりませんでした。
 
白無垢にはあの人の血が飛んで、鮮やかな模様ができました。
 
動かなくなったことを確認してから、井戸に行って日本刀を洗いました。
 
洗いながら、またこれは以前経験したと強く感じました。
 
 

ずっと思い出しかけていて、思い出せなかったこと。
 
それを、もうすぐ思い出しそうです。

→次の夜
 


 

思い出した

DATE: 10/19/2009 23:24:46
 
あの人を埋めなくてはなりません。
 
穴を掘るのは、思った以上に大変なことです。なかなか十分な深さまで掘ることはできません。
 
掘れば掘るほど、以前同じ事をやったという思いが強まってきます。
 
お昼頃から掘り始め、おやつの時間を挟んで、まだ掘り続けました。
 
夕方になってだんだん闇が強くなった頃、スコップの先が何かに触れました。
 
ゆっくりと土をかき分けると、そこには布がありました。
 
摘み上げるとシャツのようです。しかも見覚えがあります。
 
これは祖父が着ていた夏のシャツです。
 
闇の中で不意に匂いが強まりました。
 
その瞬間、私はそこになにが埋まっているのかがわかりました。
 
そこに埋まっていたのは、祖父の死体です。
 
一年前に私が埋めた祖父の死体です。
 
今日とまったく同じ事を、私は一年前にしていたのです。
 
 

そうか…。
 
すべてが結びつきました。
 
その死体が祖父だと言うことが
 
もう誤りです。
 
その死体は、私の夫なのです。
 
 

祖母など、どこにもいません。
 
祖母だと思っていたのは、私自身なのです。
 
私が三夜子なのです。
 
 

歳をとった
 
老女です。

→次の夜
 


 

三夜子

DATE: 10/21/2009 02:38:50
 
秋の風が吹いています。
 
私の人生も暮れていきます。
 
もうお終いにしなくてはなりません。
 
あんなお面は、私で終わりにしなくてはならないのです。
 
日本刀も、五徳も、血まみれの畳や壁も、ここで終わりにしなくてはなりません。
 
曼珠沙華の水は、まだ十分残っていました。
 
私のお手製の梅ジュースをこの水で割って、いま飲んだところです。
 
この夏作った梅ジュースも、これで最後になりました。
 
 

五徳に差した三本の蝋燭のうち、一本目はJ子さんのときに、二本目はあおいさんのときに点いていました。三本目は、いつも消えてしまっていましたが、きっと今夜の時のために残っていたのでしょう。
 
私は、三本目の蝋燭に火を灯しました。
 
一つ目の夜はJ子さんのために、
 
二つ目の夜はあおいさんのために、
 
三つ目の夜は私のために、
 
あのお面が仕組んだものなのかもしれません。
 
 

でも
 
もう終わりです。

 
 


 



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